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地震直前、受験生の孫励ます 77歳の母犠牲「親孝行したかった」叶わなかった家族旅行

産経ニュース 2024年7月1日 21時6分

元日の能登半島地震で倒壊した自宅の下敷きになり、亡くなった石川県輪島市河井町の田上嘉子(たがみよしこ)さん(77)は優しい人柄で周囲に慕われていた。「頑張るましや(頑張りなさいよ)」。高校受験を控える双子の孫に、この地域の方言でこう励ましたのは地震直前のこと。あれから半年。2人は無事に志望校に進んだが、親子3代、家族旅行の計画はもうかなわない。

輪島のおばあちゃん-。長男の宏樹さん(56)によれば、今春高校生になった宏樹さんの双子の息子と娘は、祖母の嘉子さんのことをこう呼んでいた。2人は学校から帰るとほぼ毎日、観光名所となっていた「朝市通り」近くに一人で暮らす嘉子さん宅に立ち寄り、仕事あがりで親が迎えに来るまで、一緒に過ごした。

嘉子さんが振る舞ってくれた手料理の中でも、2人が大好きだったのがカレー。宏樹さんの妻、香織さん(49)は「お義母さんは掃除も料理も完璧だった。なかなか同じようにはできない」としのぶ。

昨年の大みそかから元日にかけ、嘉子さん宅で過ごしていた宏樹さん一家。一緒にテレビを見て過ごし、嘉子さんが手作りしたおせちと雑煮を食べた。年が明ければいよいよ高校受験が迫る孫2人に、嘉子さんは「頑張るましや」と優しく声をかけた。

一家が帰宅のため嘉子さん宅を出たのが元日の午前11時ごろ。地震はその約5時間後だった。宏樹さんらの住む輪島市三井町も大きな揺れに襲われ一帯が停電、一時孤立状態となった。携帯電話も通じず、嘉子さんとも連絡が取れなかった。

孤立状態が解消した午後8時ごろ、宏樹さんは嘉子さんの様子を見に行くため、軽トラックに乗って真っ暗な悪路を進んだ。嘉子さん宅に近づくに連れ、大規模火災で赤くなった空が見え、不安が膨らんだ。

ようやく着いた嘉子さん宅は、延焼を免れていたものの、地震の揺れで1階が押しつぶされていた。正面から入れず、裏側の車庫からガラスを割って中へ。「母ちゃん、母ちゃん!」。呼びかけに返事はなかった。

倒れかかったたんすなどを動かし、2階から落下した畳をめくると、その下に嘉子さんの姿があった。脈をとろうとした腕は、すでに冷たくなっていた。

嘉子さんを病院に運び、帰宅したのは午後11時半ごろ。「だめやった」。宏樹さんが伝えると、子供たちは声を上げて泣いた。近くの火葬場が被災して使えず、自宅から遠く離れた石川県小松市の斎場で嘉子さんを見送ったのは、約2週間後の1月15日だった。

その後受験を控えた子供たちは同県白山市へ集団避難。困難な環境を乗り越え、志望校に合格した。集団避難から戻った2人は新しい生活をスタートさせたが、時折「おばあちゃんのカレーが食べたい」とつぶやく。

嘉子さんの生前、孫2人の受験が終われば「一家みんなで旅行に行こう」と話していた。「親孝行したかった」(宏樹さん)という思いから計画を立てたが、もう実現は不可能になった。

地震から半年。宏樹さんは嘉子さんを思うたび「こんなこともしておけばよかった」と後悔が募る。それでも「一人ではなく家族がいる。何とかやっていくしかない」とここ輪島で家族で精いっぱい生きる姿を亡き母に見せたいと思っている。

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