14日に75歳で死去した俳優の火野正平さんについて、火野さんが「相模の彦十」役で出演していた「鬼平犯科帳」の公式X(旧ツイッター)は20日、追悼文をポストした。「鬼平犯科帳キャスト・スタッフ一同」として、「物語の中ではもちろん、撮影現場においても心の支えでした」と存在感を示した火野さんをしのんでいる。また、火野さんが芸名の名付け親だった池波正太郎の原作映像化作品にレギュラー出演できたのを喜んでいたことなどを明かしている。
全文は以下の通り。
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〝相模の彦十〟火野正平さんが亡くなられました。
火野さんは、1949年5月30日東京都生まれ。12歳のころから劇団「こまどり」に所属し、1962年にドラマ「少年探偵団」に出演。1973年からは池波正太郎が名付けた現芸名で活躍し、NHK大河ドラマ「国盗り物語」での羽柴秀吉役が当たり役に。
その後も数多くの時代劇や、ドラマ、映画などに出演。色気のある渋さと人懐っこさをあわせもつ名脇役として、数々の作品で強い印象を残しました。近年では、自転車で日本を縦断する紀行番組、「にっぽん縦断 こころ旅」の親しみやすい人柄でも人気を博しました。
松本幸四郎主演「鬼平犯科帳」シリーズでは、平蔵の昔なじみであり、裏の世界の酸いも甘いも噛み分けた密偵〝相模の彦十〟役を演じ、「新たな鬼平」には欠かせない存在感を示してくださいました。
火野正平という芸名は、池波正太郎先生につけていただいたことに触れ、「やっと池波先生の作品にレギュラーとして参加できた。そんな縁があるから、これは大切にしたい作品です」と作品への想いを語ってくださいました。
火野さんは以前、「鬼平犯科帳」の撮影現場で、「皆があんまり悲しそうだったら笑わせてやろうとか、笑いが多いなと思ったらトーンをちょっと落としてみようとか、そんなことをずっと考えて演じてきました」と話し、物語の中ではもちろん、撮影現場においても心の支えでした。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
鬼平犯科帳キャスト・スタッフ一同