昭和16年のハワイ・真珠湾攻撃に参加し「最後の生き証人」と呼ばれた元海軍航空兵、吉岡政光(よしおか・まさみつ)さんが8月に死去していたことが分かった。106歳。石川県出身。
大正7(1918)年生まれ。昭和11年に海軍の呉海兵団に入隊。空母「加賀」の整備員を務めた後、飛行機搭乗を目指し、空母「蒼龍」の艦載機の偵察員となった。
米英が中国国民政府への支援物資を送り込む援蔣ルートを遮断するための南寧作戦に加わるなどした後、真珠湾攻撃の機動部隊に参加。97式艦上攻撃機から投下した魚雷は敵艦に命中し、撃沈したものの、その船は目当ての戦艦ではなく、訓練用の標的艦「ユタ」だった。
ミッドウェー海戦で蒼龍が沈没する前に異動になり、米軍によるトラック島空襲も経験した。終戦時の階級は少尉。長く戦争体験を語らないできたが、100歳になってから証言を続けていた。
桜井翔さんの質問が議論呼ぶ
令和3年12月の日本テレビ系報道番組「news zero」のインタビューで、キャスターの桜井翔さんが「アメリカ兵を殺してしまったという感覚は?」と質問した。
これに対し「私は航空母艦と戦艦を沈めてこいという命令を受けているんですね。人を殺してこいってことは聞いてないです。従って、命令通りの仕事をしたんだ。もちろん人が乗っかっていることはよく分かっていますけど、しかし、その環境というと私も同じ条件です」と答えた。桜井さんの問いかけはネット上で「無神経だ」などと議論を呼んだ。
米兵に「心からの敬意を表します」
昨年5月、英語ニュース・オピニオンサイト「JAPAN Forward」の取材に対し「真珠湾攻撃で亡くなった方々の墓参りをしたい。心からの敬意を表します」と話していた。
日本軍が真珠湾で燃料タンクを攻撃しなかったことは謎とされてきたが、「正論」今年1月号のノンフィクション作家、早坂隆氏のインタビューで、「占領後に使うかもしれないから攻撃してはいけない」と指示されていたことを明らかにしていた。
吉岡さんにインタビューなどで何度も会った日本経済大の久野潤准教授は「実際に真珠湾に行った最後の人が亡くなった。生存者がいなくなったからこそ、真珠湾攻撃について敬意を持って、慎重に評価していくべきだ」と話した。(渡辺浩)