実験的アニメーションの先駆者で、漫画家、イラストレーターの久里洋二(くり・ようじ、本名・栗原英夫=くりはら・ひでお)さんが11月24日、老衰のため死去した。96歳。葬儀・告別式は近親者で行った。
昭和3年、福井県鯖江市生まれ。幼少期から絵や映画に親しみ、教科書の隅にパラパラ漫画を描いたり、フィルムの切れっ端を手回しの映写機で映したりして楽しんでいた。
中学卒業後、税務署などに勤めるが、風刺漫画で知られた横山泰三の作品に刺激を受け、上京。文化学院美術科に通うかたわら、共同通信の嘱託として1コマ漫画を描くなど、漫画家生活をスタートさせる。
33年、自費出版した「久里洋二漫画集」で文芸春秋漫画賞を受賞。35年にはアニメーション制作に乗り出し、イラストレーターの柳原良平、真鍋博と「アニメーション三人の会」を結成して、数々の作品を発表する。37年に制作した3分間の「人間動物園」は、世界最大規模のアニメーションの祭典、アヌシー国際アニメーション映画祭(フランス)で審査員特別賞を受賞するなど世界的に評判を呼び、日本の実験アニメーションの第一人者となる。
作風は風刺を伴ったユーモアにあふれており、特に「人間」や「愛」を見つめた諧謔(かいぎゃく)味に定評があった。実験的な作品だけでなく、テレビCMやNHKテレビの「みんなのうた」、日本テレビの「11PM」など幅広く活躍。一方で、漫画に加えてイラストや肖像画も手がけ、美術館やギャラリーで個展を開催するなど、多彩な活動で知られた。
晩年は東京都杉並区にある「アート・アニメーションのちいさな学校」で後進の育成に当たったほか、平成28年には500ページの書き下ろし漫画集「クレージーマンガ」を出版するなど、最後まで創作意欲が衰えることはなかった。
平成4年に紫綬褒章、23年に旭日小綬章を受章。