19日に死去した読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏の代表的な記事に、専務取締役論説委員長だった昭和59(1984)年の年頭社説がある。「特に警戒すべきは、左翼偏向である」と言い切ったその主張は、読売の現実主義路線への転換表明として、保守派から評価された。
「警戒すべきは左翼偏向」
59年1月1日付の読売社説は「平和・自由・人権への現代的課題 日本の役割と新聞の使命を考える」と題されている。
終戦直後に制定され「われらは左右両翼の独裁思想に対して敢然として戦う」などとうたった「読売信条」(現在は改訂)を引いて、「両翼の偏向思想が、マスコミを侵す危険がないとはいえない。特に警戒すべきは、左翼偏向である。今日の左翼偏向派は、決して自らを『左翼』と称することはしない。平和とか軍縮とか反核といった大衆の耳に快くひびく言葉の中に、それを隠そうとする」と指摘した。
当時は、ソ連が中距離弾道ミサイルSS20の配備を進め、アフガニスタンに侵攻するなど軍備拡張と侵略を推進。中曽根康弘首相やレーガン米大統領が自由世界を守る政策を進めていた。
社説は「反核運動の叫びは、ニューヨーク市の空にとどろいても、モスクワ市の街角では沈黙を強いられている」「いわゆる進歩派の反核運動は、有効な核軍縮に寄与せず、ソ連の西側分裂工作に奉仕する結果を生むに過ぎない」と、核兵器廃絶の悲願は言論の自由のない国には届かないと訴えた。
人権抑圧についても「東側の閉鎖社会には、現に何百万人ものサハロフが、自由を奪われて、息をひそめている。日、米、西欧に、一人のサハロフがいるだろうか」と問いかけた。サハロフとは、ソ連の反体制派物理学者アンドレイ・サハロフだ。
社説は最後に「平和と自由と人権を守り、世界の尊敬と信頼を得る国となるためには、日本は、そして大部数を発行する新聞は、どっちつかずのあいまいな国際的無責任、進歩を偽装した保守的、観念的中立主義に耽溺(たんでき)することは許されないと考える」などと表明した。
自由の擁護を識者歓迎
この社説は当時、保守派に大きな反響を呼んだ。京都産業大の漆山成美教授は「朝日に代表される左翼偏向報道で日本の世論が染め上げられていくことは決して好ましい現象ではない。そういう中で、サンケイ、日経に加えて、読売新聞が『自由の擁護』へと論調を軌道修正しつつあることは歓迎すべきことだ」(「改革者」7月号)、評論家の片岡正巳氏は「ほとんど画期的と言ってもよく、新聞史あるいは社説史に残るであろうと言っても、決してオーバーな表現ではないと思う」(「月曜評論」1月23日号)と賛辞を送った。
一方で共産党機関紙「赤旗」は1月5日付で「『サンケイ』主張顔負けの社説が『読売』社説である」「中曽根内閣が『戦後政治の総決算』の名のもとにすすめようとしている日本の政治・経済・社会の反動的再編成と大軍拡の方向に、完全に迎合したものであり、それを積極的に推進する役割をかってでたものといわざるをえない」と激しく非難した。
歴史認識、安倍談話に影響
渡辺氏はこの年の2月に開かれた日本新聞協会主催の「日米編集者会議」の基調報告で、社説と同じ安全保障論を展開した上で、社会党の非武装中立論を評価する朝日新聞を公然と批判した。
以来40年、読売は渡辺氏の主導で、自衛力保持を明記した憲法改正試案を発表するなど、少なくとも外交・安全保障の面では産経に近い現実路線をとるようになった。
しかし、先の大戦の歴史認識では違った。戦後60年となる平成17年から1年間にわたって読売に連載された大型企画「検証・戦争責任」の書籍版のあとがきで渡辺氏は、満州事変を日本の侵略と断じ、米国による原爆投下は日本が降伏をためらったからだとした。
靖国神社について「(戦争責任者が)頑迷な宮司によって、犠牲となった戦没者の霊と合祀された。そこを国の最高権力者が公式参拝することが、近隣国との大きな外交摩擦の因となっている」などと書いた。
検証・戦争責任の歴史観は27年の安倍晋三首相の戦後70年談話の内容に少なからぬ影響を与え、保守派の間で賛否両論を呼んだ。(渡辺浩)