浜松市内のマンションで8月下旬、老齢の姉弟がネコと戯れていた。
「おいで!」
姉が甲高い声をかけると、ネコは姉弟の間に入って行ったが、岩のように頑健な体格の弟はその姿を目で追うだけで、口をつぐんだままだ。
どこにでもありそうな日常が日常でないのは、弟が死刑囚だからだ。
袴田巌、88歳。昭和41年6月、当時の静岡県清水市(現静岡市清水区)で家族4人を殺害したとして、強盗殺人罪などで死刑が確定している。
逮捕から半世紀後の平成26年3月、判決を見直す再審を開く静岡地裁の決定が出て死刑執行が停止。釈放されたが、死におびえながらの長期拘束で生じた拘禁反応は消えず、意思疎通は難しい。
今は姉のひで子(91)と生まれ故郷の浜松市内のマンションで暮らす。今年2月には2匹のネコ、「ルビー」と「殿」も加わった。
巌は男性への警戒心が強く、初対面の男性は自宅にも入れない。
「刑務官の多くが男性だったことが影響しているのだろう」とひで子はみている。
夜の街で
巌が故郷から100キロ離れた清水市の夜の街に行き着いたのは昭和37年のことだ。
11年、二・二六事件の約2週間後に6人きょうだいの末っ子として生まれた巌。中学卒業後に上京し、プロボクサーとなって現在も残る年間19戦の国内最多記録を打ち立てたが体を壊し、2年弱でリングを離れた。所属ジムに紹介され、清水市内のキャバレー「太陽」のボーイとして働き始めた。
「物静かで優しい青年でした」
巌と同じキャバレーの寮に住んでいた同僚の妻、渡辺昭子(90)はそう振り返る。
2歳しか年が変わらないのに巌は昭子を「母さん」と慕い、昭子はいつも腹が出ていた巌を「おなかちゃん」と呼んだ。
寮で同僚がマージャンに興じるのをよそに、巌が昭子の1歳の長男を寝かしつけたこともある。
「太陽」に酒を卸していた酒屋の主人も、巌を評価した一人だ。卸し先で唯一、酒の荷降ろしを手伝ってくれた巌を信頼し、38年11月、市内のバー「暖流」を任せた。巌は翌月、ホステスの女性と結婚。長男も授かった。
客は来なかった。店は約1年余りで畳まざるを得ず、妻は長男を置いてどこかへ去った。酒屋の主人が次に紹介したのが、市内にあるみそ製造販売会社「こがね味噌(みそ)」の工場だった。
「母さん、みそを持ってきたよ」
41年6月、巌が寮に戻って昭子にみそを手渡した1週間後、こがね味噌を舞台に事件は起きた。
突然のノック
30日未明、市内の民家から火が噴き出した。
こがね味噌の工場に近接する専務、橋本藤雄=死亡当時(41)=宅で火災が起こり、中から橋本ら4人の遺体が見つかった。静岡県警は強盗殺人・放火事件として捜査を始めた。
昭子は14歳と17歳の子供が犠牲になった凄惨(せいさん)さに驚きもしたが、巌とは連絡を取らなかった。関係があるとも思えなかったからだ。
だが、県警の見立ては違った。
事件の数日後、昭子が住む寮のドアをノックする音が響いた。
「袴田の写真を見せてほしい」
県警の捜査員だった。
アルバムを見せると、巌が写る写真ばかりをはがしていった。
「犯人は袴田しかいない」。発生から数日にして、捜査員は完全に犯人を巌と決めつけていた。
「冗談じゃない」と昭子は食い下がったが、捜査員は聞く耳を持たず、写真を持ち去った。
2カ月もたたない8月18日、巌は逮捕された。
それが半世紀近くにわたる死刑囚としての半生の序章に過ぎないとは、誰も知る由がなかった。
写真は、まだ昭子のもとに返ってきていない。=呼称、敬称略
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静岡県で一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田巌さんの再審公判の判決が、26日に言い渡される。無罪の公算が大きい。死刑囚と呼ばれ続けて半世紀近く。司法に翻弄された袴田さんの半生を追う。