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「真の自由をお与えください」 変わらぬ姉弟の立場、変わった世界の見方 死刑囚と呼ばれて 袴田巌さん再審判決へ㊦

産経ニュース 2024年9月24日 8時0分

「そんなの噓だ」

静岡県清水市(現静岡市清水区)で一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田巌(88)は平成26年3月、自身の再審を静岡地裁が認めたと知り、ぼやいた。

地裁が1回目の再審請求を20年前に棄却していただけに無理もないが、噓ではなかった。地裁は犯行着衣とされた衣類の血痕の色が、発見場所のみそタンクに漬かっていた割には赤すぎるとする弁護側の主張を認め、死刑を執行停止。巌を釈放した。

東京拘置所の応接室に姿を見せた巌の表情は長年の身柄拘束による拘禁症状で硬かったが、姉のひで子(91)は意に介さなかった。「お帰り」。逮捕以来、言えずにいた言葉を口にしてみた。

弁護団長の涙

釈放から8年を経ても再審は始まらなかった。

検察側の抗告を受けた東京高裁は30年6月、地裁の決定を取り消した。弁護側の特別抗告を受けた最高裁が令和2年12月、その高裁決定をさらに取り消し、審理は高裁に差し戻されていた。

高裁、最高裁、そして再び高裁へのたらい回しは、ひで子には不思議な光景に映ったに違いない。だが、弁護団長の西嶋勝彦=後に82歳で死去=には見覚えがあった。

西嶋は静岡県島田市で昭和29年、女児が殺害された「島田事件」で死刑が確定した男性の再審無罪を勝ち取った。島田事件も逮捕から無罪判決まで34年を要している。

巌の弁護に30年以上関わった西嶋は時に議論が割れる弁護団を束ね、無罪の論拠を積み上げた。西嶋から主任弁護人を継いだ小川秀世(72)は「不思議と弁護方針の結論に不満を述べる人はいなかった」と話す。そのかいあってか、高裁は令和5年3月、捜査機関が証拠を捏造(ねつぞう)した可能性にも触れた上で再審開始を認め、検察側は同20日、特別抗告を断念した。

その日、東京都内の会見場の机に顔を伏して涙を流す西嶋がいた。「お袋の葬儀でも泣かなかったのに」。西嶋の息子は笑ったという。肺炎を患い、会見場や10月に始まった再審公判で鼻に酸素チューブをつけていた西嶋。明くる年の1月、無罪判決を聞くことなく天に召された。

「袴田巌さん」

「巌に真の自由をお与えください」。令和5年10月27日の再審初公判、ひで子は半世紀以上前の弟と同じように無罪を訴えた。当時と違い、巌は意思疎通が困難で出廷を免除され、ひで子が代わりを務めた。

巌は今も死刑囚のままだ。ひで子も死刑囚を支える姉のまま。

変わったのは、2人を取り巻く世界だ。メディアは「袴田巌死刑囚」と呼ぶことを止めて「袴田巌さん」と呼び始めた。ひで子を廃人寸前に追い詰めた世間の厳しい目はもう、ない。

変わらないのは再審公判でも死刑求刑を維持した検察か。では、56年前に死刑を言い渡した地裁はどうか。

再審は無罪とする明白な新証拠が見つかったときに開かれる。

判決は今月26日。

司法に揺さぶられ続けた巌の人生に架された「死刑囚」の十字架。降ろせるのは、その十字架を架した者しかいない。=呼称、敬称略

この連載は、橘川玲奈が担当しました。

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