富雄丸山古墳(4世紀後半、奈良市)で発掘された東アジア最大の蛇行剣をテーマにした奈良県立橿原考古学研究所の公開講演会が、奈良県橿原市の県社会福祉総合センターで開かれた。蛇行剣の保存処理に伴う調査で、鞘(さや)の先端に「石突(いしづき)」と呼ばれる刀剣では類例のない突起があることなどが報告された。担当者は「考古学と保存科学が連携した結果、詳細な構造が明らかになった」と意義を説いた。
蛇行剣は令和4年11月末に発見。長さ237センチで6カ所が屈曲し、漆塗りの柄(つか)や鞘が確認された。奥山誠義総括研究員は「現地で確認すると柄や鞘の漆や木質、布などが残っている可能性があり、周辺の土と一緒に取り上げた」と当時の状況を振り返った。
その後、橿考研で手術用顕微鏡でのぞきながら蛇行剣を覆っていた粘土の粒を1ミリ単位で針などで除去。鞘の先端に残っていた漆膜をたどると、石突があることが分かった。奥山さんは「設備の整った室内だからこそ詳細な調査ができた。発掘現場と保存科学の共同作業の成果」と話した。
北山峰生調査第1係長は蛇行剣の歴史的意義を解説。「刀身をわざわざ曲げて通常とは異なる形にすることで、畏怖と尊崇の意味をもたせ儀礼用として使われたのでは」と話した。
かつて橿考研で保存科学を担当した今津節生・奈良大学長は、昭和60年代に発掘された藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町、6世紀後半)について解説。「繊維など有機物の痕跡から遺体や遺物が布で包まれていたことが分かった。有機物は残りにくく目立たないが、埋葬時にどういう儀礼が行われたかをたどる上で重要な資料」と強調し、長年の研究の蓄積が蛇行剣の調査成果に結びついたと述べた。