Infoseek 楽天

「よみがえれ神戸」田辺聖子さんの震災手記、直筆原稿を初公開 母校の田辺聖子文学館

産経ニュース 2025年2月7日 14時37分

30年前の阪神大震災で被災した作家、田辺聖子さん(1928~2019年)が発生間もない頃に新聞に寄せた手記の直筆原稿が、母校である大阪樟蔭女子大(大阪府東大阪市)の田辺聖子文学館の企画展で初公開されている。《復興は早いだろう》。自らの戦争体験と重ねながら、打ちひしがれる被災地に送ったメッセージ。手書きでつづられ、推敲(すいこう)を重ねた一文字一文字に、田辺さんの強い思いが感じ取れる。

企画展「何か私のできること―田辺聖子が残した震災記録」。震災から10日後の平成7年1月27日付の京都新聞と、同30日付の神戸新聞に掲載された「よみがえれ神戸」の直筆原稿が初公開された。原稿は、《私の家は幸い倒壊を免れたものの…》と、兵庫県伊丹市の自宅で突然大きな揺れに見舞われた震災発生時の描写から始まる。

平成7年1月17日早朝。自宅で就寝中だった田辺さんは、ドーンと突き上げるような揺れを感じた後、激しい横揺れに襲われた。トランポリンの上で揺すぶられるような状況で、ベッドから起き上がることができなかったという。書斎の仕事机の上には大きな書棚が倒れ込み、全集などの本やガラスが散乱し足の踏み場もなかった。

《いつものように仕事をしていたら、背後の書棚が倒れ、ガラス戸と本がなだれ落ちているのでその陰でどうなったかわからない》

締め切り間際の原稿を抱えていた田辺さんは、本来なら夜を徹して机に向かっているはずだった。だが、前日に親戚との集まりで飲酒したため、仕事をせずに就寝。《ほんのタッチの差で最悪の事態にあわず命びろいをした》ともあった。そして被災地の惨状を、《既視感があって、感慨深い。五十年前の戦災時とすっかり同じではないか》とつづる。

田辺さんは先の大戦末期の大阪大空襲(昭和20年)で、大阪市内にあった実家の写真館兼住居が全焼した。そのときに見た焼け野原となった光景が、被災地と重なったのだろう。半世紀が経過し日本の底力が蓄えられたとして、《神戸も阪神地区もよみがえる力をたっぷり持っていると私は信ずる》と希望を込めた。

企画展では震災3カ月後に東京都内で開催したチャリティー講演会のチラシも展示している。講演が苦手だった田辺さん。愛する神戸のまちが苦しみ、傷ついているときに、《私も一緒に苦しむべきだ》と自ら奮い立ち壇上に立ったことを、著書「ナンギやけれど……わたしの震災記」に記している。

住友元美学芸員は「作家として、何かできることはないかと、震災を手記や小説に書き残し、講演会では語り部となった。後世につないだ震災の記憶を多くの人に知ってもらいたい」と話している。

企画展は3月11日まで、入館無料。住友学芸員によるギャラリートーク(展示解説)が、2月18日午後1時半から開かれる。予約不要。(横山由紀子)

この記事の関連ニュース