今年は作家・三島由紀夫の生誕100年にあたる。三島が生まれたのは大正14年1月14日で、満年齢は昭和の年数とも一致する。先の大戦を挟む激動の時代を生き、さまざまな受け止め方をされる三島は「死後も成長する作家」とも表現される。三島が残したものはなにか。「金閣寺」や「ライ王のテラス」の舞台を手がけた演出家、宮本亜門さん(67)が産経新聞のインタビューに応じ、三島作品が時代を超えて人々を惹きつける理由などを語った。
《三島は「金閣寺」や「豊饒(ほうじょう)の海」などの小説で知られる世界的文豪で、「鹿鳴館」や「サド侯爵夫人」といった戯曲を創造した劇作家。一方で、敗戦後の体制に警鐘を鳴らし、45年11月に東京・市谷の自衛隊駐屯地で自決した行動家、思想家でもあった》
――三島との出会いは
「中学2年の時だったと思う。三島さんが割腹自殺をした。テレビでも速報をしていて、ちょうど僕もなぜか家にいた。親が、『何が起こったの?』って感じで緊迫した状態で。そうしたら親がぼくを見て『見るな』『ダメだ』ってテレビを消した」
――でも、興味が湧いて仕方なかった
「思春期ですからね。見るなといわれると、一段と興味を持ってしまった」
――三島と宮本さんには似た原風景があると思う。三島は祖母、宮本さんは母に連れられ、歌舞伎など日本の伝統芸能に少年期から触れてきた
「僕はそんなお坊ちゃんではないですよ。でも隠れて、三島さんの本を読み初めた。共鳴するところが多過ぎて、ぐわっと心が引っ張られた。才能とか論理性は当然として、臆病な、精細な面もあることが文面から伝わってくるのが魅力だと思う」
《宮本さんは平成23年、芸術監督を務めていたKAAT神奈川芸術劇場(横浜市)のこけら落としとして、「金閣寺」を上演した。最も思い入れが強い作品で、主人公である溝口に自分を投影する部分があった》
――金閣寺が初めて読んだ三島作品か
「違うと思うな。数冊目だった。でも一気に引き込まれた」
――作品のどういったところか
「ご存じの通り、主人公である溝口にとって金閣寺という存在は最も聖なるものであってほしかった。戦争で溝口自身が金閣寺と爆撃されて命を落とし一体化すると思っていたが、結局進駐した米兵が来て、金閣寺も観光地化する。思ったものと全く違う方向に行ってしまった。米国の統治下で生き、日本人が日本人を蹴るとか。象徴的な場面かなと思う」
――溝口は吃音であり、屈折した人物像だが、それを1人称で回想するのが特徴
「僕は吃音ではないけど、人と話すのが会話ができない時期があったんですよ。高校の時は引きこもりも経験した。電車に乗るでしょう?そうすると広告が出ている。『話し方教室』とか『吃音解消』とか。何度も記載されている電話番号を書き留めて、でも電話をする勇気がなかった。電話をする勇気もないぐらい会話ができなかった」
――演出家の今からはなかなか想像できない
「自分の場合は精神性の問題だった。ぼくは自分を全面的に否定して、とにかく早く死にたかった。自分には価値がないと思っていたから。だからよりどころ、生きる糧を探していたんだと思う」
――そんな時に金閣寺に出会った
「そう。三島さんの作品はたくさん読んだ。どちらかというと(純愛を描いた)『潮騒』のような作品はあまりぼくには響かなかった。自分では屈折した性格とは思っていないんですけど、悩みや繊細さ、聖なるものとわいざつが両極にぶつかった美というものに魅力を感じていたと思う。昔からそういう舞台を見ていた影響もある」
《三島作品は今の若い世代にも人気が高い。昭和を知らない世代にとって三島作品に触れる意義はどういうところにあるのか。宮本さんは金閣寺に三島の生き方や考え方が織り込まれていると話す》
――演出した舞台でも若い世代の反応が大きかった
「なぜ若い人たちが三島由紀夫という人物や作品に興味をもっているのか。僕も正確には分からない。金閣寺について言えば、華麗な、優美な文章、つまり飾った美しさがあるんだけど、それ以上に等身大の話だということが大きいと思う」
――金閣寺では吃音で内向的な溝口以外に、主要人物には明朗でありながら葛藤を抱えた鶴川、障害を抱えながら俗世を生き抜く柏木が出てくる
「3人は三島にとって分身なんですよね。溝口は目指していった方向がか弱くて、実はいじめられる側なんだろうなって。でもなんとかしたくて必死にもがく。その姿に三島さんは自己を投影している」
――他の2人は
「鶴川と柏木は溝口とタイプが全く違う。僕もそうなんだけど、人は自分と反対のものになろうとするでしょう。鶴川は子供のころの三島さんなんじゃないかな。いい子だけど、それだけでは生きていけないと気付く。柏木は障害という部分は体を鍛えた三島さんと違うけど、堂々と自分の論理を相手にぶつけることができる。つまり三島さんがなりたかった人物なんじゃないかなと推測している」
――3者全てを人格として持ち合わせることはできない
「三島さんの作品すべてがそうとは思わないけど、金閣寺には三島さんの生き方や考え方を3人に当てはめながら仕上げた感じがしている。分身といっていい。感情移入しながら、自分自身を見つめながら読んでいる若い人が多い気がする」
――確固とした価値観を持った人というイメージがあるが
「一見すると、こう決めたら自分の意見は変えない人と思われるかもしれないけど、三島さんのすばらしい所は実は揺れ動くことだと思う。やっぱり、昭和の戦前戦中戦後を経験して、ニヒリズムになったり、肉体を鍛えたり、最後にはロマンチシズムもあって。自分と葛藤して、自問自答して、自分を変えた人だから」(聞き手 五十嵐一)
=(下)に続く