Infoseek 楽天

青年よ、ボブ・ディランを聴け 自由を求める才能には広い世界が必要だ モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら(194)

産経ニュース 2025年1月18日 11時0分

映画の前に初期アルバム

年明けは米国文学やポピュラー音楽の研究で知られる東京大名誉教授の佐藤良明さんが訳した『BOB DYLAN THE LYRICS 1961-1973』(岩波書店)を眺めながら、ノーベル文学賞を受けた米国のシンガー・ソングライター、ボブ・ディラン(1941年~)の初期のアルバム6枚を繰り返し聴いていた。

①「ボブ・ディラン」(62年発売)、②「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」(63年)、③「時代は変る」(64年)、④「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」(64年)、⑤「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」(65年)、⑥「追憶のハイウェイ61」(65年)の6枚だ。

若き日のディランを描いたジェームズ・マンゴールド監督の「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」をより深く鑑賞するための準備である。

余談になるが、岩波のこの本は、楽曲を聴きながら読むのに最適なレイアウトがなされていてとても重宝した。ページの下部に英語の歌詞、上部には対応する佐藤さんのこなれた訳が配され、聴きながらストレスなく読むことができる。

6枚のアルバムを繰り返し聴いて驚いている。いまから60年も前に書かれ、録音された楽曲にもかかわらず、プロテストソングであろうと自身の内面を表現した歌であろうと、切れ味がまったく落ちていない。

詩人の長田弘さんは『アメリカの心の歌』でディランをめぐってこんなことを書いている。

《歌に必要なのは、一丁のカンナだ。古いしっかりした材木を、カンナで削る。古い材木のなかに、新しい材木がある》

ディラン自身は、歌うたびに自分の楽曲にカンナをかける。ディランのファンの多くが、彼の楽曲のライブテイクやアウトテイクを聴こうとするのはそのためだ。聴く方だってカンナを持てば、同じレコードやCDに収録されている楽曲からでも、まったく新しい感銘を得ることができるはずだ。ただし、ベニヤ板を張り合わせた合板ではだめだ。ずしりとした本物の材木であることが大前提なのは言うまでもない。

ディランのファンには常識だろうが、ここで少々説明をしておきたい。ディランにとっては、①②③がプロテスト(フォーク)ソングの時代で、使用するのは生ギターとハーモニカのみ。④で従来のレッテルを剝がそうとするかのように自身の内面を表現する楽曲に重点を移し、⑤のA面で電気楽器を導入したロック、B面で生ギターを中心としたフォークテイストの楽曲を披露する。そして⑥で完全にロックに移行する。ちなみにプロテストソング時代の代表作である「風に吹かれて」は②に、「時代は変る」は③に、生涯を通じた代表作と目される「ライク・ア・ローリング・ストーン」は⑥に収められている。

プロテストソング時代の楽曲の中で現在の私にもっとも刺さったのは、「自分たちには神が味方についている」という米国人の傲慢な思い込み、すなわち戦争と殺戮(さつりく)を正当化する理屈を、いくつもの例を挙げて批判する「神が味方」だ。③に収録されている。ディランは《これで退場するけどな/ほんと、死ぬほどくたびれた/頭ん中がゴチャゴチャで》とつぶやいて幕を閉じる。推測にすぎないが、ディランはクスリでもやらないとやっていられない状況に追い込まれつつあったのではないか。

ロックに移行してからでは、⑤に入っている「マギーズ・ファーム」だ。プロテストソングを愛好する自分を「善意の人」と思い込む人々によって「代弁者」のように祭り上げられたディランが、「もうこりごりだ」とたたきつけるように歌う。

《もう、マギーの農園じゃはたらかねえぞ/まっぴらだ、/マギーの農園じゃはたらかねえ》

マギーの農園とは、プロテストソングを愛好する人々のコミュニティーに相違ない。誰にも経験があるだろう、自分を「善意の人」と思い込む人間の押し付けほど鬱陶(うっとう)しいものはない。

シャラメの圧倒的な演技

そろそろ映画について語ろう。こんな筋だ。1960年代初頭にミネソタ州からニューヨークにやってきたディランが、プロテストソング・コミュニティーの重鎮であるピート・シーガーに才能を認められ、コミュニティーのスターだったジョーン・バエズの力も借りながら「代弁者」に上り詰めてゆく。しかし、自由を求めているはずのコミュニティーがディランをがんじがらめにしてゆく。ディランの才能にはもっと広い世界が必要だった。

映画では触れられていないが、ビートルズを筆頭とする英国ロックの米国席巻(ブリティッシュ・インベイジョン)が、そもそもリトル・リチャードなどのロックンロールに魅せられて音楽活動を始めたディランをいたく刺激した。ただそのころの英国ロックの歌詞は、青年のたわいもない恋心を歌ったものがほとんどだった。

そんな英国ロックへのディランの返答が⑤の「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」だ。ロックのビートに乗ったディランの歌詞に誰よりも衝撃を受けたのがビートルズのジョン・レノンだった。ロックの芸術的深化はここから始まる。

映画に戻ろう。クライマックスは、65年7月に開催されたニューポート・フォーク・フェスティバルだ。主催者側はディランにプロテストソングを要求する。観客の多くもそれを望んでいた。だがエレキギターを手にステージに上がったディランは、バックバンドとともに「マギーズ・ファーム」、そして⑥に収録した「ライク・ア・ローリング・ストーン」と「悲しみは果てしなく」を大音量で演奏する。

いったん引っ込んだディランは、プロテストソングを期待していた客を納得させるために生ギターを手にステージに戻り、⑤に収録の「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」を歌う。

《もう一本マッチを擦って、新たな門出だ/おしまいなのさ、ベイビー・ブルー》

コミュニティーの人々への最後通告だ。ディランは誰に忖度(そんたく)することなく変化を遂げてゆく。

ディランを演じたのはティモシー・シャラメ。映画の企画が立ち上がった5年前から歌とギターの練習に取り組み、吹き替えなしにやってのけたという。ディランが乗り移ったと思わせるほどの見事な出来栄えだ。そしてディランの精神的変化に伴う表情の移ろいは演技をはるかに超えていた。面白かった。羽ばたこうとする若い人々にぜひ見てほしい。これからの人生で大切にすべき何かを見つけることができるかもしれないから。2月28日から全国公開。(桑原聡)

※歌詞の訳はすべて佐藤良明さんによるもの。

この記事の関連ニュース