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「被爆者の気持ち伝わった」被団協のノーベル平和賞受賞決定に広島と長崎から喜びの声

産経ニュース 2024年10月11日 21時34分

核廃絶に関心を持ってもらう大きなきっかけになる-。79年前の体験をそれぞれの立場で語り、伝えてきた多くの被爆者が、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞を「自分のことのようにうれしい」と歓迎した。国際情勢が緊迫の度合いを増す中で、核兵器の恐怖が逆に希薄化していくことに焦りや歯がゆさを感じていた人たちは「活動が世界に認められたのは大きい」と口をそろえた。

自身の被爆体験を修学旅行生や訪日外国人に伝えている広島市佐伯区の岸田弘子さん(85)は午後6時過ぎから、テレビ各局が速報した受賞のニュースに首ったけになった。「本当に胸がいっぱい。最高の追い風になってくれた」

この日も小学6年生30人に被爆の実相を聞いてもらった。「核兵器のことをどう思いますか」と質問してくれた児童に、「素晴らしい問題意識を投げかけてくれてありがとう」と感謝で応じたばかり。「その子たちはきょうは宮島に宿泊している。広島でこのニュースを受け止めてくれたと思うと感慨深い」

広島市中区の川野登美子さん(82)も、自宅のテレビで被団協のニュースに見入った。「一生懸命やっていても、なかなか取り上げられることがない。それが世界に認められた」と喜んだ。

川野さんは、平和記念公園内にある「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子(さだこ)さんの同級生。小学6年のときに白血病を発症した禎子さんのために「団結の会」を結成し、お見舞いを続けた。12歳で亡くなった「禎ちゃんのために」と像を建てるための募金を全国に呼び掛けた。

今も講演などを通じて禎子さんのことや命の尊さを小中学生に伝えている川野さん。「ノーベル賞のニュースが、若い人に関心を持ってもらう大きなきっかけになる」と語り、「私自身もできるだけ活動を続けていきたいと強く思った」と、被団協の受賞に勇気づけられた。

長崎市に住む竹下芙美さん(83)は「自分ごとみたいにうれしい」と声を弾ませた。3歳のとき、原爆が落とされた後の長崎市の自宅に疎開先から戻って被爆した入市被爆者。被爆の影響からか、甲状腺がんなど複数のがんを患っている。

核使用が取り沙汰される昨今の国際情勢には歯がゆさばかりを覚える。「今回の受賞は、被爆者の気持ちが伝わった結果ではないか」と話した。

3歳で被爆し、頭に包帯を巻いて兄の背中におぶられる姿が記録映画に収められた竹本秀雄さん(82)=広島県呉市倉橋町=も「長年、平和活動をしてきた人たちがやっと報われた」と喜びを語った。

竹本さんを映した記録映画の一場面は、8月6日が近づくたびにテレビで繰り返し放映された。爆心地から約1キロの自宅で被爆し、顔には今もケロイドが残る。竹本さんをがれきから見つけ出し助けてくれた当時11歳の兄、定男さんは23歳で死去した。

来年は戦後80年。先日はイギリスの公共放送BBCからも取材を受けたという竹本さん。「少しずつ手応えを感じている」といい、被団協とともに、今後も被爆者の声を世界に届けていきたいと意気込んだ。

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