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なぜこれほど集中? 大嘗祭関連の木簡の大半に「備中国」の記載 平城京跡から出土の荷札

産経ニュース 2024年7月2日 21時24分

奈良市の平城京跡から出土した、奈良時代の聖武天皇が皇位継承時に行った大嘗祭(だいじょうさい)を示す「大嘗」の記載を含む木簡群のうち、関連する物品に付けたとみられる荷札の大半が備中国(岡山県西部)のものだったことが分かり、奈良文化財研究所が2日発表した。木簡には他の国の地名はあまり記載されておらず、備中国が当時、都とどう関わったのか解明が課題となりそうだ。

木簡群は2~3月、平城宮正門だった朱雀(すざく)門の南東約200メートルの地点から出土した大型土坑から見つかった。この地は平城京当時の「左京三条一坊二坪」に当たる。

洗浄作業を進めた結果、2600点以上の木簡を確認し、うち荷札・付け札は約180点。記されている物品は、烏賊(いか)や鰒(あわび)、堅魚(かつお)、栗などで、平安時代にまとめられた法典「延喜式(えんぎしき)」にある大嘗祭の供神雑物(ぐうしんぞうもつ)(神へのお供え)の規定と多くが一致する。木簡はこの規定内容が奈良時代前半にあった可能性を示している。

荷札のうち、全体の3分の2に当たる約120点には備中国やその郡名、郷名が記されていた。賀陽郡や下道郡など備中9郡すべてを確認し、栗をはじめ梨や鮨年魚(アユズシ)、米などの物品を届けたことが分かった。安房国(千葉県南部)など他の国の地名も記されている木簡もあったが、わずかだった。

平安時代に編集された歴史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」では、聖武天皇の大嘗祭で新穀をささげた「由機(ゆき)国(悠紀)」と「須機(すき)国(主基)」は、それぞれ備前国(岡山県南東部)、播磨国(兵庫県南西部)と記されている。

一方、木簡により備中国が関わったとみられることが分かり、奈良文化財研究所では「なぜ備中国に荷札がこれほど集中するのか検討する必要がある」としている。

渡辺晃宏・奈良大教授(古代史)は「一つの国の荷札がこれだけの割合を占める出土例はなく、大嘗祭で備中国が大きな役割を果たしたのだろう」と話した。

大嘗祭

天皇が即位後に初めて行う大規模な新嘗(にいなめ)祭。新米や酒などを神に供え、五穀豊穣(ごこくほうじょう)や国家の安寧を願う一世一度の儀式で、大嘗宮を設営して行い、終了後は撤去する。飛鳥時代の天武天皇の頃に整ったとされる。仏教に帰依し東大寺大仏を造立したことで知られる聖武天皇の大嘗祭は神亀元(724)年11月に行われた。

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