定年退職をしてからのこと。午後3時になると紅茶を飲みながら、妻と思い出話に耽(ふけ)ったり、旅行の計画を話し合ったり、マスコミをにぎわしている話題を取り上げたりしたものだ。居間のポッポ時計が4時を告げると、「夕飯の支度をしなきゃ!」と妻が立ち上がり、お開きとなる。楽しくも、一日のうちで最も充実した時間帯であった。
1年8カ月前に妻が亡くなり、わが家のティータイムは消滅した。会話もなく、独りで飲んでいても楽しくもなく、わびしい。
すると、「俺はティータイムに妻の愛読書を開いてるんだ」と、やはり独り身となった友人。読み進むほどに、奥さんが浸っていた世界にぐんぐんと引きずり込まれていくと言う。夢中になって、紅茶が冷めてしまうこともしばしばらしい。
これはいいことを聞いた。私もやってみよう。幸い処分せずに妻の愛読書は残してある。
お湯を沸かして紅茶を淹(い)れる。妻がやってくれていたが、今や私の役目。妻の書棚から取り出したのは、サン=テグジュペリ著「星の王子さま」。タイトルは子供っぽいが、大人の童話ともいえる。さ~て、読み始めよう。妻の足跡が楽しみだ。
安藤知明(82) 大阪府豊中市