友人が亡くなって2年になる。
当時彼女はがんが進行し、医師から、残された家族が困らないよう準備しておくように、と告げられた。
彼女には母親と小学生の息子がいた。
母親に、遺影を撮りに行きたい、と言って「縁起でもない、そんなこと言わないで、絶対に治るから」と泣きながら怒られたこと、エンディングノートを書き始めたこと、でも抗がん剤治療を続けたいこと、たくさん話を聞いた。
「話を聞いてもらうと少し楽になる」
彼女はいつもそう言った。そしてその後に、「こんな話ばかりでごめんね」と言う。
私は次第に、耳を傾けるだけではダメだ、何か気の利いた返事をしなくては、と考えるようになってしまった。そうして出てくる言葉は、私の本当の言葉ではなく、繕った言葉になっていたかもしれない。
時折、彼女の家にお邪魔して、お母さんとお茶を飲む。息子君は、宿題を広げたままゲームに夢中だ。遺影の中の彼女は優しくほほ笑んでいる。
宮田裕子(54) 京都府舞鶴市