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日本版「PLAYBOY」初代アートディレクターも 第一線で走り続けた田名網敬一さん

産経ニュース 2024年8月20日 16時3分

9日、88歳で亡くなったアーティストでグラフィックデザイナーの田名網敬一さん。日本のポップアートやサイケデリックアートの先駆けでありながら、日本版の月刊「PLAYBOY」初代アートディレクターに就任するなど、ジャンルにこだらず、あらゆるメディアを横断して第一線を走り続けた。

昭和11年、東京都出身。目黒で過ごした子供時代、空襲におびえ逃げ込んだ防空壕(ごう)から見た真っ赤な火柱や、遺体が重なる光景が、アーティストとしての原風景となった。さらに終戦後、大量に日本に流入したポップでカラフルなアメリカ文化の影響も受け、ミッキーマウスのようなモチーフも好んだ。こうした幼少時の体験が後年、極彩色の表現の源となった。

武蔵野美大でデザインを学び、卒業後は大手広告代理店に就職したが、2年で退社。以後、フリーのアーティストそして、創作活動に入った。

当時は米国の若者を中心に広がったヒッピー文化が全盛の1960年代。その中にあって、田名網さんは戦後日本の風俗やデザイン、絵画、版画、アニメーション、実験映画…とあらゆるメディアを横断しながら、多岐にわたる創作を展開した。雑多な図像を組み合わせ、独特の色彩でポップに表現する〝田名網ワールド〟はこの頃、出現した。

近年は、戦争体験と古今東西の名画をコラージュした映像作品なども発表。作品は海外でも評判になり、米ニューヨーク近代美術館に収蔵されるなど、国際的な評価も高まっていた。東京都内で回顧展を開催中で、日本のポップアートの先駆けでありながら、現役であり続けた。

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