国内最大の前方後円墳で世界遺産の仁徳天皇陵古墳(堺市堺区、5世紀中ごろ)を発掘調査している宮内庁は29日、後円部北西側の周濠や堤で、江戸時代中期から明治時代の間に行われた造成工事跡を確認したと発表した。
今回の調査個所では、江戸時代の元禄期(17世紀後半~18世紀初め)に新田開発で埋められ、明治時代に復旧したとの文献が残っており、記録が裏付られたことになる。調査担当者は「明治期に堤を高くして陵墓の荘厳化が行われたのではないか」としている。
今回は墳丘を囲む3重の堤のうち、真ん中の第2堤と一番外側の第3堤、一番外側の第3濠(ごう)などに7カ所の調査区を設けた。いずれの調査区でも、元の地層の上に土が盛られていた。一部には15~16世紀の陶器片や瓦なども混じっていた。
盛られていた土は第2堤では約1・8メートルの高さがあり、古墳が築造された当時は現在よりも低かったことが分かった。宮内庁陵墓調査室の土屋隆史主任研究官は「(築造された)古墳時代はもっと簡素で、現在の風景とは違っていたと考えられる」と推測している。
宮内庁は古墳の保全整備に向けた現状把握を目的に発掘調査を続けており、今回は平成30年、令和3年に続いて3度目となる。