敗戦後間もなく、私たち家族は朝鮮から引き揚げて、農家の納屋に間借りした。冬の日は壁の破れから雪が侵入してきた。
「あした茶筅作りをするから、竹とナイフを持ってきなさい」と担任の先生。私は小学校4年生に編入したばかりだった。帰って母に話すと、母は困った顔をした。
翌朝「とにかく学校に行きなさい」と言われて登校した。工作の時間が始まろうとしたときに、母が風呂敷包みを抱えて教室に来た。先生に包みを渡し、何やら話して帰った。
風呂敷包みを開くと出刃包丁が出てきた。同級生たちが大声で笑った。私は恥ずかしくて呆然としていた。
そのとき、先生が静かに話し始めた。「そう、彼のお母さんは、ナイフがないので、代わりに包丁を持ってきた。戦争に負けて、日本人はみんな貧乏になった。みんなの家も貧乏だと思う。これからみんなが力を合わせて頑張るしかないのだ」
あのときの同級生もほとんど他界した。若かった先生は息災だろうか。今は亡き母は、教室に入るときに、どんなに恥ずかしい思いをしただろうか。
80年近い歳月の流れの中で、霞んでゆく想い出の一つをそっとすくい取ってみた。
大村鉄也(88) 福岡県飯塚市