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「敗北者の守護聖人」シオラン 最強のペシミストでニヒリストの箴言集を開けば心が楽に モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら(192)

産経ニュース 2024年12月21日 11時0分

精神をむしばむ日々のニュース

今年最後の回である。これでもいちおう時事コラムのつもりでいるので、日々飛び込んでくるニュースを眺めながら、自分がなんとか語れそうなものを選び、乾いた雑巾を絞るようにして書いている。それが仕事であり、生きがいでもあるのだが、凡人の想像をはるかに超える、人間の愚かさや残酷さを見せつけるニュースは、私の精神をむしばみ鬱状態にしてゆく。

最近では、未来志向の日韓関係を築こうとしていた韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領による唐突な「非常戒厳」宣布(ねじれ国会にしびれを切らした「白色テロ」の発動といえなくもない)と、その後の混乱である。日本人のひとりとして尹大統領に期待していただけに、親北・反日勢力による揺り戻しが起こりそうでとても悲しくうとましい。さてどんな展開を見せるのやら。

そしてもうひとつ。シリアのアサド政権の崩壊で明らかになった反対派へのむき出しの憎悪しか感じられぬ、あまりにもむごたらしい弾圧だ。モンテーニュは第2巻第27章「臆病は残酷の母」(関根秀雄訳)にこう記している。

《最初の残酷はただそれ自体のために行われる。次に、それに対して当然うけなければならない復讐(ふくしゅう)を恐れるから、その恐怖の一つ一つをおし殺すために、あとからあとからと新たな残酷が糸を引いて出てくる》

復讐を恐れたアサド前大統領の逃げ足のなんと速かったことよ。

こんなニュースを見聞きしているうちに、心がどんどん曇っていった。それをつかの間晴らしてくれたのが、オスロで開かれたノーベル平和賞授賞式に、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の人々とともに出席した高校生平和大使のひとりが、帰国したおりに会見で述べた言葉だった。

「微力だけど無力じゃない」

まっすぐでとてもすてきなスローガンだ。こんな発言もあった。

「思いを継いでいくのは次の世代。長崎に住んでいて、近くにたくさんの被爆者がいる。交流を通じて声を残す活動ができたらと思っている」「オスロの高校生とコミュニケーションを深め、核廃絶へ声を上げないといけないことを分かち合うことができた」

核廃絶をめざし、活動のバトンをしっかりとつないでいってほしい、と心から思った。だが情けないことに、すぐさま自国の反対勢力を容赦なく弾圧し、核兵器で他国を恫喝(どうかつ)しようとする愚かで残酷な独裁者たちの我欲にまみれた顔が浮かび、心は再び曇りはじめてしまった。

黒曜石のような絶望的な言葉

溺れかかってわらをもつかもうとする人間に対してこんな教えがある。あたふたせず、潔く底まで沈み、足が届いたときにトンと蹴って浮き上がればよい、というものだ(息がもてばの話だが)。

この教えに従い、精神的に溺れそうになったときには、最強のペシミストでありニヒリストであるシオランの箴言(しんげん)集を開くことにしている。彼の救いようのない絶望的な言葉を読むと、不思議と気が楽になり、浮上するきっかけがつかめるのだ。劇薬による逆療法とでも言えばよいだろうか。

まず最晩年の箴言集『告白と呪詛(じゅそ)』(出口裕弘訳)からいくつか紹介しよう。

《人間はいまや絶滅しようとしている。これが、こんにちまで私の抱いてきた確信だ。ちかごろになって、私は考えを変えた。人間は絶滅すべきである》

《隣人を愛する。それは無理だ。想像もしかねる。一匹のウイルスに、もう一匹のウイルスを愛しなさいなどといえようか》

《人間関係がかくもむずかしいのは、そもそも人間はたがいに殴りあうために創られたのであって、「関係」などを築くようには出来ていないからである》

なんとも強度のある黒曜石のような言葉である。これらはシオランが高く評価したモンテーニュが第2巻第12章「レーモン・スボン弁護」に書いた次の言葉と響き合うように思う。

《自惚(うぬぼ)れは我々の持って生れた病である。すべての被造物の中で最もみじめで脆(もろ)いものといえば人間であるのに、それが同時にもっとも傲慢なのである》

シオランは1911年にルーマニアで生まれ、95年にパリで没した。幼いころに第一次世界大戦を経験、26歳のときにパリへ移り住み、28歳のときに第二次世界大戦が勃発している。戦争がシオランの人間観や思想の形成に〝寄与〟したのは間違いない。

どうだろう、現代の独裁者たちに対峙(たいじ)するさい、シオランのこんな絶望的な言葉から出発すれば、少なくとも絶望することはないはずだ。そもそも希望は与えられるものではない。絶望から出発して探し出すものだろう。被団協の人々のように。

こう書きながら、心は少しばかり上向きになりはじめた。気分転換に海でも見に行こうか。

『カイエ』の言葉が自分に突き刺さる

自宅を出てだらだら坂を下る。坂の途中で太平洋の水平線が目に飛び込んでくる。人口は7千人弱、高齢化率が50%を超える田舎町ゆえ、ほとんど人とすれちがうことはない。

20分ほどで漁港にたどり着く。防波堤の突端に腰を下ろしてたばこを吸う。潮風は猛烈に冷たいが、太平洋を独り占めするような感覚が好きだ。こんなぜいたくなことはない。もう東京には住めないと思う。自分が占有できる空間など、どこを探してもないからだ。たばこをゆったりと吸うこともできない。気が変になりそうだ。シオランはこう書いている。

《殺人者の心を持たない都会人など、想像できようか》

電車の中で人々がうつむいてスマホを眺めているのは、自分の殺気だった表情を他者に見せたくない、他者の殺気だった表情を見たくない、ということが本当の理由かもしれない。

帰宅して、シオランが1957年から15年にわたって34冊のノートに書き残した言葉を、彼の没後、パートナーだったシモーヌ・ブエがまとめた『カイエ』(金井裕訳)を開く。目に飛び込んできたのが次の言葉だ。

《私の本に興味をもっているような人がいると、そういう人は、自分の内部で何かが壊れてしまって<にっちもさっちもゆかなくなり>、人生を<切り抜けて>ゆくことのできない人だ、ということが私にはすぐ分かる。私に惹(ひ)かれるのは敗北者だけだ。「敗北者」の「守護聖人」》

まさに私自身に突き付けられた言葉だ。いいじゃないか「敗北者」! そして「守護聖人」たるシオランよ、これからもよろしく。

今年も「敗北者」の戯言(ざれごと)にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。よいお年をお迎えください。(桑原聡)

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