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朝鮮半島北部に取り残された日本人6万人を救った男 『奪還』城内康伸著 <書評>評・久保田るり子(客員編集委員)

産経ニュース 2024年9月8日 7時40分

『奪還』城内康伸著(新潮社・2090円)

日本の敗戦で朝鮮半島に邦人約70万人が取り残された。米ソの分割占領で38度線以南には45万人、以北に25万人である。米軍占領の南側は翌春までに帰還が完了した。だが北側はソ連支配下に日本人が封じ込められた。

北側の日本人正式帰還が始まったのは昭和21年末である。終戦から約1年半に及んだ残留邦人の苦闘は歴史の間で忘れ去られてきた。本書はその闇に光を当てた。

そこには、ひとりの勇敢な男の「日本人を奪還する」との決意による壮大なドラマがあった。男は実に6万人もの邦人を混乱の朝鮮半島北部から船や列車を借り上げて救い出した。この人物は、脱出工作実現のため封鎖された38度線を獣道の単独行で越える胆力を持ち、朝鮮人やソ連人、日本人の協力者を組織化する知力と実行力を持っていた。

20年8月25日までに、ソ連は南北間の鉄路を封鎖した。北朝鮮をソ連の衛星国とし、韓国を占領統治する米国と対峙する冷戦の始まりである。一斉に南下を始めた邦人は家も資産も失い、朝鮮人やソ連兵の略奪に遭い、食糧難に陥り、発疹チフスの蔓延に苦しめられた。避難民となった人々の2万6000人以上が飢えと病で死亡した。

この苦境に立ち上がったのが、当時34歳、現在の北朝鮮の北部で二等兵として終戦を迎えた松村義士男だった。松村は戦前、労働運動に加担した元左翼運動家で治安維持法違反の検挙歴もあるアウトサイダーで、北朝鮮の新政権には朝鮮人やソ連人の共産主義者の知己が多かった。

松村は引き揚げ史のなかでは知られているものの、訓令に反してリトアニアでユダヤ系避難民を救った杉原千畝と違って広く語り継がれることはなかった。2人の事情は全く異なるが、北朝鮮取材で知られる著者は松村義士男というソ連占領下の北朝鮮で仁王立ちになって日本人を救った男を発掘、その活動に血肉を通わせた。著者ならではの北朝鮮に関する知見が随所に生きており、読み応えがある。

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