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死者と生きる文化がある 『ミチノオク』 <聞きたい。>佐伯一麦さん(作家)

産経ニュース 2024年9月1日 10時20分

還暦を迎える前後に東北地方を巡り、その風土に触発された私小説の連作短編集。紀行文学の枠にとどまらず、地震や噴火、水害といった「厄災を生きた古人の心」につながる道行きの記録となった。

「旅を始めたのは、東日本大震災で被災した方々の人心もようやく落ち着きを取り戻してきた時期。自分の生まれ育った東北を回って、正面から取り上げたかった」

在宅緩和ケア活動に取り組む医師の勧めで、「ぼく」は秋田県の西馬音内(にしもない)盆踊りを見に行く。東日本大震災の被災地では「幽霊を見た」という体験談が広まったが、「亡者踊り」とも呼ばれる西馬音内盆踊りの一団が避難所を慰問すると、幽霊話も落ち着いたという。黒い頭巾で顔を覆った踊り手に死者の名を呼びかける見物客の声を聴き、思わず「ぼく」も震災後に亡くなったいとこの面影を探す。

「生者と死者が交流し合うような、死者とともに生きていく文化が東北には通奏低音のようにある」

震災の津波は人的被害だけでなく、新たな生命の芽生えももたらした。宮城県沿岸部の貞山堀(ていざんぼり)周辺では津波で植生が変わり、国の準絶滅危惧種である水田雑草のミズアオイが復活。万葉集にも詠(うた)われた古代の情景がよみがえった。

「津波は人間を中心に考えた場合には大きな被害だが、自然の再生のメカニズムでもある。人間中心主義ではない側面も書きたかった」

「道の奥」を意味する「陸奥」と呼ばれてきた東北。片仮名に開いたタイトルは、柳田國男『遠野物語』の馬と娘の婚姻譚「オシラサマ」信仰などの伝承とも響き合う。

「漢字で書くと硬直した意味付けから逃れられないが、遠野物語にあるような伝承は口話で言い伝えられてきた。土地土地の生活に根差した言葉を拾い上げられた」

かつて中上健次に「東北は眠れる文化の宝庫。東北のことを書け」と言われたことが頭に残る。「日本は災厄が避けられない土地柄だが、文学は常に危機を含んで伝わってきた。同じような目に遭った人たちの心につながり、過去を知らないと復興はできない」

(村嶋和樹)

さえき・かずみ 作家。昭和34年、宮城県生まれ。雑誌記者や電気工などを経て、同59年に作家デビュー。平成3年に『ア・ルース・ボーイ』で三島由紀夫賞、令和2年に『山海記(せんがいき)』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。

『ミチノオク』佐伯一麦著(新潮社・2420円)

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