現存する最古の聖書原本の一つである「七十人訳聖書」の誕生の謎に迫るSFから、天皇の棺を運ぶ「八瀬童子」の末裔(まつえい)の宅配便ドライバーが過ごす鬱屈した日常まで。全6編の短編集は「神や宗教について考える」というコンセプトで生まれた。
「作品を通じて、自分が知りたい、考えてみたいと思う他者を書くのが僕の基本の書き方。遠い未来や過去の方が分からないことが多いが、現代でも自分では分からないけど興味のあるテーマは多い」
表題作の「スメラミシング」は、新型コロナウイルス禍の日本で急拡大した陰謀論を取り上げる。「マスタープラン」「覚醒者」といった言葉を多用するSNS上のアカウントが、東京五輪の延期や無観客開催を〝予言〟したことを機に崇拝されるように。「世界は《作家》によって綴(つづ)られた物語」という抽象的な投稿は、既存の陰謀論を統合する物語として人々に受容され、現実世界のノーマスクデモへと実体化していく。
「僕らも何らかの信念の枠組みを無批判に信じて生きているのは一緒。ただ、イデオロギー的に生きている人々は、世界の枠組みを単純化しているという点で陰謀論になじみやすい。その世界観を小説的な物語が作り上げている側面は必ずある。小説も簡単にグルになってしまうという僕のおびえを書きたかった」
数字の「ゼロ」を神とし、科学を融合させた架空の宗教を描く「神についての方程式」や、合理性と客観性を絶対視する文明の惑星を舞台にした「啓蒙(けいもう)の光が、すべての幻を祓(はら)う日まで」でも、科学の発展と切り離せない宗教的な信仰が焦点になる。
その根底にあるのは、「仮説を立てて検証する」という推論が科学の発展に大きな役割を果たしたことへの驚きだ。「人類の科学は論理的な思考だけでは生まれない。陰謀論的な部分、すなわち人間のバグが科学や歴史を作ってきたという事実が、僕の頭の中でせめぎ合っている」
(村嶋和樹)
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おがわ・さとし 小説家。昭和61年、千葉県生まれ。東京大大学院総合文化研究科博士課程退学。平成27年に「ユートロニカのこちら側」でハヤカワSFコンテスト大賞を受賞しデビュー。29年刊行の『ゲームの王国』で日本SF大賞と山本周五郎賞、令和4年刊行の『地図と拳』で山田風太郎賞と直木賞を受賞した。
『スメラミシング』(河出書房新社・1870円)