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失われた「日本」の〝物語〟を提示 理想実現に格闘した『戦う江戸思想』とは

産経ニュース 2024年9月30日 18時0分

「江戸時代が、実はわれわれの考える『日本』を作ったのだ」。こう訴え、数多(あまた)の先人の思索や行動、人物像を時代背景とともに紹介する『戦う江戸思想』(ミネルヴァ書房)がこのほど発刊された。同書は産経新聞大阪本社版夕刊で令和3年8月から4年7月にわたり連載された「日本の道統」を大幅に増補したものだ。著者の大場一央氏に「戦う思想」の神髄を聞いた。(中村雅和)

「日本の道統」は、現代を生きる私たちにとって参考になり得る先人の生き方、考え方を、落穂(おちぼ)拾い的に集めようとした試みでした。連載では「神国思想」を説いて伊勢神道を大成させた度会氏に始まり、明治から平成を生きた王陽明研究の第一人者、岡田武彦・九州大学名誉教授に至るまでのべ49人を取り上げました。これらを一つの線として結べば「日本とは何か」という〝物語〟を提示できるのではないか、という着想から『戦う江戸思想』をまとめました。

思想の大きな力

「思想」と聞かれると、哲学者の思索の中、あるいは机上の学問といった印象を持たれるかもしれませんが、それは極めて一面的な見方です。政治体制、経済政策あるいは教育システムなど、社会の全領域に対し、思想は決定的な影響を与える力を持っています。

例えば、本百姓を基礎に、現代風に表現すれば「分厚い中間層」が形成され、その上に倫理的な指導者が配置されるという江戸時代の社会体制は、儒教が重視する経典の一つ『孟子』で提示された発想です。あるいは、4代将軍、徳川家綱の後見人で、江戸初期の代表的な名君として知られる保科正之や、寛政の改革を手掛けた松平定信の治政にしても、根底には儒教の一学派、朱子学の考えがあります。また、江戸時代を通じて各地で興った私塾や、庶民の学習機関、寺子屋は、基本的に自学自習をモットーに、師匠と弟子が共に学んでいく仕組みでしたが、これも儒教が理想とした姿でした。

事程左様(ことほどさよう)に、思想は大きな力を持っているのです。

否定された「和魂」

もちろん、儒教の発祥は中国大陸です。しかし、先人はそれを咀嚼(そしゃく)し、いわば日本化させました。江戸時代はそうした蓄積の上に「職場や家を通じて社会に参加し、与えられた立場・役割を担うことで、経済的な自立と精神的な自律を達成しよう」との思想、あるいは〝物語〟を掲げた時代といえます。そしてそれを実現させようと、現実と戦っていたのです。

しかし、明治維新以降の西洋化で、こうした思想、伝統は社会の表舞台から消されていきます。「和魂洋才」と言いながら、実際には「和魂」は否定され、打ち捨てられていったのです。こうした流れへの抵抗が、自由民権運動や大正デモクラシー、あるいは昭和維新運動などの一部にみられます。それぞれの言説に差異はありますが、根底には先に挙げた「役割分担型」への志向は共通していると考えています。

「改革」への違和感

そして、現代日本でも「グローバリゼーション」や「ジェンダー平等」といった新たな価値観が主に欧米から雪崩のように流入し、社会をそうした方向へ「改革」することがもてはやされています。

こうした明治以来の「西洋化」に棹(さお)さすばかりの社会に対し、違和感を抱いている日本人は、決して少数派ではないと思います。しかし、その感情を表現する言葉を失っているのではないでしょうか。

ではその言葉とはどこにあるのか。本書では、実際に思想が現実と格闘し、理想を実現しようとした江戸時代に見ることができるのではないか、という〝物語〟を提示しました。そして、江戸の思想は今もなお、私たち一人一人の物事の捉え方や、生活の中に生き続けている可能性も示しました。本書が読者にとって、「日本」を掘り起こし、取り戻すきっかけになることを願っています。

おおば・かずお 昭和54年、札幌市生まれ。早稲田大文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。早大非常勤講師。主な著書に『武器としての「中国思想」』(東洋経済新報社)、『日本人と中国思想―日本型リーダーの原像』(SMBCコンサルティング)。

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