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<ビブリオエッセー>歩き続けたその先に… 「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」レイチェル・ジョイス著 亀井よし子訳(講談社文庫)

産経ニュース 2024年8月30日 12時16分

その日、高松市内の映画館で見た1本のロードムービーに目頭が熱くなった。すぐに読んだこの原作小説で、また泣いた。

65歳のハロルドが受け取った1通の手紙から物語は始まる。差出人は昔働いていた工場の同僚だった女性、クウィーニー。末期がんでホスピスにいるという。それは突然届いた別れの手紙だった。クウィーニーはある出来事で工場を辞めて姿を消し、20年も音信不通だった。

ハロルドは返事を投函しようとポストへ向かう途中、立ち寄った店で若い女子店員に手紙のことを話すと、こう励まされた。「信じる心さえあれば、人間、なんだってできる」。この言葉に背中を押されるようにハロルドは歩くことにした。イングランド南西端の町からホスピスのある最北端の町まで約1000キロを。

ハロルドは信じた。「おれが歩きつづければ、彼女は生きつづける」と。クウィーニーに会ってひとことお礼が言いたかった。歩きながら妻モーリーンやひとり息子デイヴィッドのことを思う。家族には悲しい過去があった。

美しい田園風景の描写やいくつもの出会いが味わい深い。スロヴァキア人の女医はハロルドに人生を語った。その後、ハロルドの「旅」は大きく報じられ、一躍有名人になる。巡礼団のように次々に集まる同行者。しかしハロルドはそんな喧騒を避け、またひとりになる。歩き続けて87日、ホスピスの前にたどり着いた。

家族の物語だ。最後に波打ち際でモーリーンがハロルドの手を握りしめる。ささやかな光を感じたこの場面に、私も救われた。

高松市 竹内健一(78)

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