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夢殿の仏像「朝鮮作の傑作」に異を唱えた和辻哲郎 「飛鳥・藤原」の景観に祖先の心読む <ロングセラーを読む>『古寺巡礼』和辻哲郎著

産経ニュース 2024年12月22日 7時0分

ユネスコの世界文化遺産に近く推薦される「飛鳥・藤原の宮都」(奈良県橿原市、桜井市、明日香村)は古代史や万葉集に興味がなければ、ただの原っぱと石ころだろう。

建国の舞台とはいえ、構成遺産は宮殿跡や寺院跡が中心で、発掘された遺構は地下で保存されている。同じ県内でも大伽藍のある世界遺産「法隆寺」「古都奈良」と違い、一目で分かる遺産は石舞台古墳の巨石と、原っぱ(藤原宮跡)を囲む大和三山くらい。

哲学者の和辻哲郎(1889~1960年)が奈良を巡った旅行記『古寺巡礼』では、飛鳥・藤原が素通りされる。大正8年初版の本書は、29歳の和辻が薬師寺や法隆寺などの仏像と建築を見物したときの印象をつづったもので、「衆生救済の御仏」ではなく「美術」に対しての巡礼。奈良盆地南東部の「久米寺や岡寺、飛鳥の古京のあたりの古い寺」も訪れる予定だったが、小雨が降り始めて汽車を降りるのが面倒になったのだ。

ただし、車窓から大和三山と多武峰、三輪山を眺めて「奈良とはまた異なった穏やかな景色で、そこにこの土地を熱愛した祖先の心も読まれる(中略)そこで推古・白鳳の新鮮な文化は醸し出された」と書き、大和の山川と「日本民族の著しい特質」との関係を示唆している。

和辻は飛鳥・藤原の景観の価値を認めていたようだ。約20キロ離れた平城宮跡から同じ山々を遠望して「堂々としてはいても甘い哀愁をさそうようにしおらしい」と形容。ほかの箇所でも繰り返し山々に言及している。美術を巡っても、奈良の仏像をギリシャ彫刻やインド、唐などの仏像と比較し、大陸と異なる景色が仏像の作り手に与えた影響を強調。「わが国の文化の考察は結局わが国の自然の考察に帰って行かなくてはならぬ」とまとめている。

景色がどのように影響を与えたか。例えば、和辻が「神々しい威厳と、人間のものならぬ美しさ」と表現した聖林寺十一面観音(国宝、奈良時代)の顔面の表情は、大陸らしさを失い、こまやかになっているという。誰が作ったかに思いを巡らせた和辻は、唐で生まれた人でも「漠々たる黄土の大陸」と「十六の少女のように可憐な大和の山水」との違いに影響されたと推測し、日本で作られたものだとみる。「大和の山水」に可憐さを見たのは、緩やかな低山だからではないだろうか。

100年以上も前に書かれたが、仏像から景色との関係を読み取る感性は古さを感じない。昭和54年に文庫化され、71刷43万部を発行。和辻は日本美術史の研究が進んでも読まれる理由について、文庫版収録の改版序(昭和21年)で「若さや情熱がある」と書いている。

若さからか、法隆寺夢殿の観音(国宝、飛鳥時代)に関する文章には熱がこもる。古社寺の宝物を調べた米東洋美術史家のフェノロサが「朝鮮作の最上の傑作」としたことに異を唱え、「朝鮮にのみ著しい独創を認めて日本に認めないのは何によるのであろうか」と反発。異国風の顔の模範が大陸にあったとしても日本作でないという証拠にならないと主張するなど、日本人としての自負もうかがえる。

古来、奈良盆地を囲む山々は青垣と呼ばれ、美しさをたたえられてきた。厳しい規制によって開発から守られ、原っぱからの眺望を遮る高層ビルはない。本書は、1300年前の都人が愛した飛鳥・藤原の地への理解を深める一助となるだろう。 (寺田理恵)

『古寺巡礼』和辻哲郎著(岩波文庫・1078円)

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