「だるまちゃん」シリーズなどの作品で知られ、平成30年に92歳で亡くなった絵本作家、かこさとしさんの未発表の原稿に、孫の中島加名(かめい)さん(31)が絵を付けた『くらげのパポちゃん』が講談社から出版された。原稿は昭和25~30年に書かれ、クラゲの子供の冒険を通じて、戦争で父親を失った人間の子供と、南洋で散った父親への深い思いが伝わる作品だ。
パポちゃんは、少年を連れた母親が桟橋で海を見つめながら「(少年が)こんなに大きくなって、働きにでかけてくれることを、お父(とう)にひとこと知らせてあげることができたらねぇ」と涙ぐむのを見かける。南の戦場に行く途中で船が沈んで死んだ父親に「知らせてあげるんだ」と、パポちゃんは南の海へ向かう-。
かこさんの長女の鈴木万里さん(67)によると、令和5~6年に刊行された「かこさとし童話集」(偕成社)の編集作業中に、束ねられた4冊の手書きの原稿が見つかり、その中にパポちゃんの話があった。
原稿の最後には「1950~55年」とあり、鈴木さんは「当時、かこは川崎の臨港地帯に勤務しており、日曜日には子供たちに紙芝居を見せるなどしていましたが、その中には家族を戦争で失った子もいました」と、パポちゃんの話ができあがった背景を語る。
また、かこさん自身がこの時期、「友達や先生が戦争で亡くなり、何を目標に生きていったらいいか分からない日々が続いていた」といい、「その中で、未来に生きる子供たちのために何かしようと、紙芝居などを勉強し始めた」と話す。
原稿に絵はなかったが、講談社が「絵本にしましょう」と提案。祖父と育った孫の中島さんに白羽の矢が立った。中島さんは東京大大学院で学んだ後、現在は北海道西興部(にしおこっぺ)村で地域作りに関わる仕事をしている。絵本を手がけるのは初めてで、「作業が佳境に入ってつらかった昨年10月ごろに、祖父が夢の中に出てきて、今、こういう作業をしていますと言ったら、『そうか、ご苦労さん』と。それだけでしたね」と笑う。
また、祖父の執筆動機について「日本の戦争が終わった後も、朝鮮やベトナムで戦争が続く現状への歯がゆい思いや、怒りがあったのでは」と想像する。
鈴木さんによると、かこさんは晩年、「戦争の本を作りたいが、なかなかできない」と繰り返していたという。「かこは絵本を作る際に膨大な情報を調べていた。それだけに、戦争は自分の手に負えない、でも伝えたいという思いだったのではないか」と鈴木さん。
トビウオの背中に乗って空を飛ぶなどの冒険の末に、南の海にたどり着いたパポちゃんが海底で目にした光景は、読者に深い印象を残す。
中島さんは「物語は戦争よりももう少し広く、執筆当時の社会や、目の前にしていた子供たちの歩みまで祖父は見ていたと思う。その子供たちは想像の中で、失ったものに出会うことができるのじゃないか。ただ、この本は子供たちに冒険の物語として読んでもらえればいい。あるとき、『なんでこうなったの』という問いかけが生まれたら」と期待を語った。(鵜野光博)