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難民の姿、「文章の束」で多面的に描き出す 池澤夏樹さん新刊「ノイエ・ハイマート」

産経ニュース 2024年7月10日 8時0分

「難民問題は個々の問題であると同時に普遍的なテーマ。一人の人間の見聞を超えたものを書きたかった」。作家の池澤夏樹さん(79)の新刊『ノイエ・ハイマート』(新潮社)は、難民を巡るモザイク・アートのような一冊だ。先の大戦の満州引き揚げ者から現代のシリア難民まで、時代や民族を超えて受難の旅を強いられる難民の姿を、自身の短編小説や詩、他の作者や詩人からの引用といった異なる「文章の束」で多面的に描き出した。

「911」きっかけ

池澤さんが難民問題について考え始めたきっかけは、2001年の米中枢同時テロとその後のアフガニスタン侵攻だった。「難民の実感を伝えよう」と、当時発信していたメールマガジンで、アフガニスタンの首都・カブールから隣国パキスタンのペシャワルを目指す家族の話を書いた。

一家は最小限の身の回りの品とパンと水を持ち、「東京から長野の少し先まで」に相当する300キロ弱の山越えの険しい道を、着ぶくれした重さによろめきながら歩く。しかし国境は封鎖されており、パンと水が尽きた一家は来た道を引き返すことになる。「日本人は難民を遠い世界の話だと思っているが、『想像してみてくださいよ』という挑発だった」

今回の新刊では、若いシリア人と年老いた日本人の2人のビデオ・ジャーナリストによる現代の難民取材を核としつつ、タイのカンボジア難民キャンプで子供を幼稚園に送り出す母親や、クロアチア紛争で故郷を追われた老女を家に泊めるボスニア・ヘルツェゴビナの一家と、時代や地域を問わず難民への援助や手助けをしたエピソードが挿入される。

「挑発的なやり方とは別に、人間がらみの体験を含んだ豊かな世界を表現したかった。とんがらない形で読んでいただきたい」

満州の難民も

日本人にとってより身近な難民の姿も描かれる。先の大戦末期に満州国の首都・新京から朝鮮半島の郭山に子供4人を連れて疎開した日本人の母親の独白体で語られる「艱難(かんなん)辛苦の十三箇月」は、友人である元毎日新聞記者の井上卓弥さんの著書『満洲難民』を許可を得て小説に翻案したものだ。栄養失調のなかマラリアに感染した母親は、朝鮮人の母親から特効薬のキニーネと食べ物を譲ってもらい辛くも一命をつなぐ。

書き始めた当初は「~した」という客観的な平叙文だったが、ふと気づくと「~しました」という母親の語り口調になっていたという。「『これは彼女がしゃべりたいんだな』と思って最初から書き直した。自分の体験、苦しみとして難民を語る誰かが欲しかった」

これまでもドイツやギリシャを訪ね、難民受け入れの現場を取材してきた池澤さん。ドイツ語で「新しい故郷」を意味するタイトルは、難民が殺到するベルリンで実際に目にした横断幕に書かれていた言葉だ。本書には、2015年にギリシャ領の島に渡ろうとした難民ボートの転覆事故で、遺体となって海岸に打ち上げられたシリア出身の男児にささげた詩も収めた。

「難民問題は子供の受難でもある。あれをニュースとして消費した人々、つまりわれわれに、『あなたはこれでいいんですか』という問いかけをしたかった」

池澤さんにとって難民はどういう存在なのか。「言ってみれば遠い親戚ですよ。遠くにいて名前だけ聞いていた人が、困窮して自分の家にやってきて扉をたたく。こっちだって家は狭いし、お金は足りない。でも人間として玄関払いしていいものか。文芸の力でそこを伝えたい」(村嶋和樹)

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