師走の午後9時過ぎ、都心を走る地下鉄の電車内。この時期は体の半分もありそうなリュックサックを背負った小学生の姿が目につきます。来年の中学受験本番を控え、塾からの帰宅時間が遅くなっているのでしょう。昨年、中学受験した娘の姿と重なります。わが家では当時、この時期は志望校の過去問に集中的に取り組む戦略を選びました。娘の得手不得手を見極め、受験する学校を絞り込むためです。結果的にこのときの経験が受験の成否を左右したと思っています。
浮かび上がった娘が得意な問題
娘は東京都内を中心に千葉、埼玉の私立中8校を受験しました。うち2校は2回挑戦したので計10回、試験を受けました。第1志望は合格を逃しましたが、第2志望だった都内の女子中に受かり、今は毎日、電車で通っています。
夫婦共働きで帰宅時間も遅いわが家では、娘に勉強を教える時間的余裕がないことが悩みの種でした。そのため娘を小学校低学年から塾付きの民間学童に通わせ、小学4年の時に中学受験で有名な都内のS塾に切り替えました。予習や復習が欠かせないため、別の個別指導の塾にも行かせました。
都内のMARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政の各大学)の系列中を第1志望にしていたのですが、マイペースな娘の成績は6年生の秋から急落。12月上旬の最後の模試では、10月の模試で80%だった系列中の合格可能性が30%にまで落ちてしまいました。
首都圏の私立中の入試は、千葉、埼玉両県で1月に始まり、都内は2月1日から本格化します。12月から1月にかけて最も力を入れたのは、志望校の過去問を解くことです。週末には午前と午後、2校分をこなしました。偏差値が同レベルの学校でも出題傾向には大きな違いがありました。
娘の場合、国語では普段の生活でなじみのない言葉が多く出てくる論説文や説明文が苦手な一方、物語文で登場人物の心情などを理解して記述するのは得意なことが分かりました。家族で話し合い、12月に入ってから第2志望の学校を、物語文が比較的多い傾向の女子中に変更し、過去問を解くことで時間配分を徹底的にたたき込みました。
交通手段の確認は念には念を
首都圏では、1月の千葉、埼玉受験の合格を「お守り」として、2月1日から始まる本番に備えるのが一般的で、ほぼ同5日には終わる短期決戦です。各学校は数日にわたり、午前と午後にそれぞれ入試を行うので、夫は綿密に日程を検討しました。初日の午前中は第1志望を受けて、午後には合格可能性の高い学校を受けるというふうに娘の負担も考慮しながら計画を立てました。
次に交通手段を詳細に調べました。自宅から遠い学校の場合は、近くのホテルに宿泊するのか、車や電車で行くのか。1日に2校受験する場合が多いので、午後の入試会場への移動手段を複数検討しておき、渋滞などで車から電車に切り替える可能性に備えて、両親で付き添えるように仕事を調整しました。
今も忘れられない光景があります。1月に行われたある学校の入試の際、学校近くの路上で「お父さん、どうするんだよ。もう間に合わないよ!」と父親に向かって叫んでいる男の子に遭遇しました。
娘を送り届けた後、学校の外に出て、時間をつぶせる場所を探して歩いているときでした。その学校は駅から離れた場所にあり、道に迷って遅れたようでした。男の子は入試に間に合わなかったと思います。
学校を下見をした上で、余裕を持つことを肝に銘じて、その後の受験に臨みました。
滑り止めに落ちたけど…
娘の入試は1月10日、滑り止めに落ちることから始まりました。12月の模試で合格可能性が80%だったのに、まさかの結果に茫然(ぼうぜん)としました。暢気に構えていた娘の顔色も変わり、以降は小学校を休んで受験勉強に集中しました。
その後も千葉と埼玉の学校で連敗を喫しましたが、夫がすぐに別の学校を探し、1月中の合格を手に入れました。独自の取り組みで評判を上げつつある学校で、娘もその後は落ち着いて受験に取り組むことができました。
受験期間中は、思うような結果が出なかったり、体調を崩したりすることを想定し、常に次善の策を考えていました。実際、多くの保護者は、子供が入試を受けている最中も控室でパソコンを開き、だめだった場合に受けられる学校を探していました。
結果的に娘は、12月に第2志望にした女子中に入学しました。最終模試での合格可能性は30%でしたが、12月から1月にかけて過去問に取り組み、ラストスパートをかけたことで得られた結果だと思っています。娘も「12月に第2志望を自分に合っていた学校に変えてよかった。過去問で何となく本番がイメージできた」と振り返っています。
ただ、中学受験はゴールではないことを実感しています。今も定期テストの結果を巡り、娘とのバトルが続いているからです。
M&M(一人娘の母、会社員)