環境省などを担当する環境新聞の小峰純記者(75)は、環境やエネルギー分野に加え、国防問題も取材するなど守備範囲が広いベテラン記者として霞が関界隈で活動する。所管の政策に直接関係ないテーマを質問する場面も少なくないが、国旗への敬礼や靖国神社への参拝を促し、閣僚らから〝愛国の心〟を引き出している。
「国旗を前に身が引き締まる」
「大臣には環境行政の最高責任者として質問にお答えいただいている。なのに、会見場に日の丸の国旗を掲げていないのはなぜでしょうか」
平成31年4月19日の記者会見。令和への改元を控え、小峰氏は原田義昭環境相(当時)に、こうただした。
当時は法務省、厚生労働省、国土交通省、環境省が同紙の調べで国旗を会見場に掲揚していなかったという。
小峰氏は「他省のことは問わない。環境省には『反日』『非日』の意図でもあるのかとさえ思う。あなたはどこの国の大臣ですか」と挑発まじりに質問した。
原田氏は保守的な信条で知られ、国に対する思いは人一倍自負心の強い政治家だ。「私は国旗を前にすると身が引き締まる国民でもある」と述べて「新しい時代を迎える節目に、この場に国旗をぜひ置かせていただきたい」と〝リクエスト〟に応じた。
原田氏の指示で1カ月後の令和元年5月14日の記者会見では国旗が掲揚された。この日の冒頭、原田氏は「改めて国旗の前で今日からご報告させていただきたい」と背筋を伸ばして語った。
この会見のやり取りが影響したのか、他省庁の会見場にも程なく国旗が掲揚されるようになったという。
「哀悼ささげぬ政治家に資質なし」
小峰氏は昭和53年に愛媛大を卒業後、電力専門紙を皮切りにエネルギー専門誌などで取材活動を展開する。当時を知るエネルギー企業の元幹部は「通産省(現経済産業省)の課長級の引き出しの中を知っているのではと思うほど、取材していた」と振り返る。
令和3年10月8日の記者会見で、就任5日目の山口壮環境相(当時)に対し、小峰氏はこう尋ねた。
「環境相になってからも靖国神社に参拝する意向はあるか」
終戦の日や春や秋の例大祭が近づくと、一部メディアは閣僚に参拝予定を尋ねる。中国や韓国からの批判や懸念を絡めた質問が大半だが、小峰氏は逆だ。
「本紙は、靖国神社で英霊に哀悼の意をささげない政治家は、日本国および世界の環境保護を訴える資質はないとみている」
山口氏は靖国について「戦場で亡くなった方を祀(まつ)るところだ。天皇陛下が靖国に行けるようにすることに尽きる」と述べ、戦場ではなく、絞首刑か獄死したA級戦犯が合祀されていることに違和感を唱えた。任期中の参拝については「適切に判断する」にとどめた。
靖国参拝を果たした閣僚に対する小峰氏の評価は高くなる。
「環境行政は右も左もない」
「環境がイデオロギーを超えて国民と国にとり大事なものだという、ごくごく当たり前のことを示されたと捉え、高く評価している」
2年9月11日の会見。小峰氏がこう賛辞を贈った相手は小泉進次郎環境相(当時)だ。小泉氏は終戦の日の参拝を欠かさず、平成以降の環境相として初めて靖国に参拝した。小峰氏が評価するのは、環境行政がリベラル色が強い傾向にあったという事情もある。
小峰氏は「厳しい追及で改善が図られたことも事実だが、大気汚染や水質汚濁などの公害は、資本主義社会により生じたとの理屈で、環境は共産主義者や社会主義者の政党の勢力拡大の道具として使われた傾向があった」と語る。
小泉氏も「この分野は右も左も関係ない。環境行政がリベラル勢力の代表的な政策分野だと位置付けられている限り、環境行政の主流化はない」と応じた。
元閣僚は「国を思う熱い記者」
経産省の会見にも出向く。6年1月12日、小峰氏は斎藤健経産相(当時)に対し、「自衛隊の武器、弾薬、糧食の兵站は極めて脆弱(ぜいじゃく)だ。ひとえに軍需産業をつかさどる経産省の大失態だ。名称を改め『経済産業軍需省』とした上で、軍需産業の抜本的なてこ入れを図るべきではないか」と提起した。
斎藤氏は名称変更の件には触れなかったが、「わが国の防衛生産・技術基盤はいわば防衛力そのものという位置付けに基づいてしっかり取り組んでいきたい」と力を込めた。
大上段に構えて時の環境相らを叱咤(しった)する姿勢にも関わらず、原田氏や山口氏、小泉氏、斎藤氏らは不思議と小峰氏と意気投合する。
山口氏は、会見後には小峰氏ら記者と、コーヒーを飲みながら意見交換する間柄になった。
4年8月~5年9月に環境相を務めた自民党の西村明宏前衆院議員もその1人だ。西村氏は小峰氏について、産経新聞の取材に「国を思う気持ちの熱い記者であり、楽しく、有意義なやり取りができた」と振り返った。「会見では固くでしか答えられない。小峰さんもこちらがそれ以上答えられない所での引き際をわかっている」とも語った。
小峰氏も節目を大切にし、政務三役が退任する際は記者や職員を集めて花束を贈るのが習わしとなっている。(奥原慎平)