関西で交流のあった人たちからも15日、三笠宮妃百合子さまの薨去を惜しむ声が上がった。
百合子さまは平成2年10月、大阪府松原市の来迎(らいこう)寺を訪問された。百合子さまのご出身の高木家の菩提寺。高木家は代々、旧丹南藩(現在の松原市など)で藩主を務めており、百合子さまは最後の藩主をつとめた高木正善氏の孫であられる。
塩野則行住職(55)によると、百合子さまは初代と11代の藩主の墓を参拝された。「紺のスーツ姿。高貴で気品があった」と印象を語る。
同寺は、ご訪問時の写真をパネルにして保存している。塩野住職は「丹南にとって、百合子さまは皇族の中で近しいお方。喪失感がある」。今後、初代藩主の400回忌が予定されているといい、「百合子さまにご報告さしあげたかった。それがかなわず残念です」と悼んだ。
関西オリエント協会の打間(だま)奈津子会長(79)は、神戸・北野の異人館街にペルシャの秘宝を集めた「ペルシャ館」をオープンさせた縁で、アジアの広い地域の歴史を学ぶオリエント史の学者だった三笠宮さまや百合子さまと交流があった。
特に印象に残っているのが平成7年の阪神大震災の直後に宮邸に招かれた際のこと。到着すると三笠宮さまと百合子さまが心配して玄関まで駆け寄られた。「街はどう」と尋ねられたという。
百合子さまはいつも三笠宮さまを気遣い、「ご夫妻の仲がとても良く、百合子さまが三笠宮さまの冗談によく笑っておられた」。食事の際には百合子さまが打間さんに「これお食べになる?」と優しく質問された。
天皇家の菩提寺で「御寺(みてら)」とも呼ばれる泉涌(せんにゅう)寺(京都市東山区)の上村貞郎長老は15日、「とても残念でお悔やみ申し上げる」と話した。三笠宮さまが「御寺泉涌寺を護る会」の初代総裁を務め、百合子さまも寺をご訪問。同寺では16日に歴代天皇の位牌(いはい)をまつる霊明殿で法要を営む。
百合子さまが昭和41年に参拝された春日大社(奈良市)の花山院弘匡(かさんのいんひろただ)宮司は「昭和、平成、令和と皇室を守られてきた大きな存在で、心に穴が開いたような悲しみの中におります」と語った。三笠宮さまの宮号は春日大社の神山である御蓋山(みかさやま)に由来するという。(西川博明、前原彩希、入沢亮輔、岩口利一)