三笠宮崇仁(たかひと)親王妃百合子(ゆりこ)殿下が15日午前6時32分、東京都中央区の聖路加国際病院で薨去(こうきょ)された。101歳のご生涯だった。皇室で最高齢だった百合子さまは昭和16年の結婚以来、三笠宮家を支え、歴史学者の道を歩んだ三笠宮さまのよき理解者として内助の功を発揮された。百合子さまの薨去により、皇室の方々は計16方となった。
百合子さまは平成11年5月、聖路加国際病院で虚血性心疾患(狭心症)などのためペースメーカーを装着する手術を受け、19年7月には大腸がんの摘出手術を受けられた。令和2年に心不全、3年には発作性心房細動との診断を受け、治療をお受けに。晩年は赤坂御用地にあるお住まいの三笠宮邸(港区)で静かに過ごし、孫やひ孫の成長を楽しみに過ごしていたが、今年3月に脳梗塞と誤嚥(ごえん)性肺炎でご入院。心臓や腎臓など、全身の機能低下が進んだ。
百合子さまは大正12年6月4日、高木正得(まさなり)子爵の次女として誕生された。昭和16年10月、三笠宮さまとご結婚。寬仁親王殿下、桂宮宜仁親王殿下、高円宮憲仁親王殿下、甯子(やすこ)さん(近衛忠煇(ただてる)夫人)、容子(まさこ)さん(千宗室(そうしつ)夫人)の3男2女を出産された。しかし、平成14年に高円宮さま、24年に寬仁さま、26年には桂宮さまを相次いで亡くされた。28年に三笠宮さまが薨去し、三笠宮家の当主となられていた。
百合子さまは、三笠宮さまとともに熱心に国際親善に努め、昭和31年にセイロン建国2500年記念祭典に参列されたのをはじめ、ブラジル移民50年記念式典(33年)やオランダの女王の即位式(55年)などにご出席。また、平成22年まで約60年間「恩賜(おんし)財団母子愛育会」の総裁を務め、母子の心身の健康を守る活動にご尽力。生け花の国際的な普及にも貢献された。