同じ小中学校に通う3人で1チームを編成して棋力を競う「文部科学大臣杯第20回小・中学校将棋団体戦」(主催・産経新聞社、日本将棋連盟、後援・文部科学省、特別協賛・ヒューリック)の東日本大会が25日、西日本大会が30日、東京と神戸でそれぞれ開かれる。
会場は、東日本大会が東京都千代田区の「大手町サンケイプラザ」、西日本大会は神戸市中央区東川崎町の「ザマーカススクエア神戸」。
出場するのは東西とも小中各32チーム。これを8チーム一組の4グループに分けてリーグ戦で3局戦い、最上位4チームが決勝トーナメントに進む。その上位2チームが8月9日に東京・大手町サンケイプラザで行われる決勝大会に進む。
出場枠は小中とも原則、都道府県各1チーム。今回は小学校で普及推薦枠が西日本で1チームある。
複数チームが出場するのは、東日本大会で小学校が東京5、埼玉4、千葉と神奈川が各3、山梨が2。中学校は東京と神奈川が各5、埼玉と千葉が各3。西日本大会では小学校が愛知、京都、大阪、兵庫が各2。中学校は大阪3、愛知、京都、兵庫が各2となっている。
競技ルールは持ち時間各20分で、それを使い切ると1手30秒未満で指さないと時間切れで負けとなる。大会審判長は片上大輔七段。
東西両大会とも午後、敗退したチームの希望者に指導対局が予定されている。指導対局の棋士は、東日本大会が森内俊之九段、野月浩貴八段、三枚堂達也七段、石田直裕六段、高橋佑二郎四段、脇田菜々子女流初段。西日本大会は南芳一九段、北浜健介八段、阪口悟六段、古賀悠聖六段、石川優太五段、山口稀良莉女流1級。
個人戦にない喜び、楽しんで
小学4年生から3年間、「文部科学大臣杯小・中学校将棋団体戦」に出場した棋士、上野裕寿四段(21)。文科杯での団体戦を通じて、仲間と喜び、仲間を応援する気持ちを味わうことができたという。「楽しんで将棋を指してほしい」と後輩たちにエールを送る。
――将棋を始めたきっかけは
「5歳の頃、父から教えてもらいました。家に将棋盤があり、『何だろう』って興味を持って」
――出身の兵庫県加古川市は「棋士のまち」。師匠の井上慶太九段ら、ゆかりの棋士が多い
「小学1年の頃からは加古川将棋センター(当時)に通いました」
――文科杯出場の経緯は
「将棋センターの子供教室に同じ学校の子がいて、『団体戦があるから出てみたら』って。仲間は5年生と3年生で、2年間は同じメンバーで出場しました」
――最後の年、初めて西日本大会を突破した
「2年生の子が新たに仲間になりましたが、将棋は覚えたて。2勝1敗で勝ち上がっていきました。西日本大会突破がかかった勝負(1勝1敗で残る1局)では決める(勝つ)ことができ、本当にうれしかった」
――初の決勝大会
「準決勝は1勝2敗で負けてしまいました。自分と2年生の子が終わって1勝1敗。残る1局は良い勝負で、勝つかなと思っていたんですが、相手の方が一枚上でした」
――惜しくも決勝には進めなかった
「個人としては(文科杯は)全勝でき、やり切った感じはありました」
――団体戦の魅力は
「自分が負けても2人が勝てば勝ち進めるんです。小学2年生の子も全く勝てませんでしたけど、全国大会まで行けたことを喜んでいました」
――プロの将棋棋士を目指したのは
「小学3年生のときに出場した全国小学生倉敷王将戦の低学年の部で優勝することができ、それから棋士を目指そうと思いました。6年生の文科杯の前には、小学生将棋名人戦の決勝大会で3位になりました」
――念願の将棋棋士になることができた
「6年生の9月に奨励会に入会し、8年在籍しました。5年間の三段リーグはすごく長く、四段昇段が決まったときはホッとした。ようやく上がれたという感じでした」
――プロデビュー31日後、3戦目の新人王獲得は棋戦初優勝の記録(最速・最短)を更新した
「三段時代から出場していた棋戦でした。優勝はすごくうれしく、自信になりました」
――文科杯に出場する子供たちに一言
「仲間を応援し、勝つことは個人戦にはない喜びです。横断幕など学校全体で応援してくれたのはうれしかった。楽しんでください」
(田中夕介)