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「ワイド!」で心ひとつに 鹿児島県・徳之島の熱い闘牛は暮らしから生まれた伝統文化 島を歩く日本を見る

産経ニュース 2024年8月16日 9時0分

鹿児島県・奄美群島の徳之島には、国内最大級の亜熱帯照葉樹林があり、固有種や絶滅危惧種の生き物が多数、生息している。豊かな自然と生態系が評価されて、令和3年、世界自然遺産に登録された。

この自然の中で古くから連綿と続く伝統文化が闘牛である。闘牛場は島内にいくつかあり、年に15回程度大会が開催されている。伊仙町にある「徳之島なくさみ館」では、初場所(1月)と春場所(5月)、秋場所(10月)が開催される。およそ3千人の観客が集まり、熱狂する。

私が訪れたのは、春場所が終わった直後の今年5月。場外にある牛小屋で、闘牛の牛がサトウキビを食(は)む姿が見られた。サトウキビは、島の基幹作物の一つ。牛は、体がずんぐりと大きく、首回りが太い。牛主によれば、「砂浜を歩かせたり、筋肉を発達させるためのトレーニングを行ったりと、日々訓練している」という。

徳之島の闘牛の起源は不明だが、かつて農閑期に娯楽として農耕用の牛同士を闘わせ、これを「なくさみ」(慰めるという意味)と呼んでいたそうだ。

また1850(嘉永3)年に奄美大島へ島流しにされた薩摩藩士、名越左源太が奄美の風土について記した『南島雑話』には、闘牛に関する記述がある。そうしたことから専門家の間では、徳之島でも江戸時代には闘牛が始まっていたのではとの推察があるという。

『徳之島町史 通史編Ⅱ』には、徳之島の闘牛に関する伝承として、島唄の「前原口説(まえばるくどき)」が挙げられる、と記されている。これは、農民が所有する牛が不利な条件をはねのけて、役人が所有する牛に勝利するという物語が歌詞になっている。身分を超えた真剣勝負ができるのも、闘牛の魅力だったのだろう。

1948(昭和23)年に徳之島闘牛組合が設立され、入場料を徴収するなどして運営が始まったことで、闘牛は庶民の娯楽から興行と化した。現在も徳之島を含め全国数カ所で闘牛が開催されている。いずれも牛同士の相撲のようなものだ。ルールはシンプルで、勢子(せこ=牛の補助をする人)の掛け声とともに牛同士がぶつかり合い、先に逃げ出したほうが負けとなる。徳之島では、勝利すると牛主や観客が「ワイド! ワイド!」と声をあげて喜びを表現する。牛主にとって大会で優勝することは名誉なことだ。

牛主の一人は、「闘牛は仕事ではなく娯楽。費用や手間暇はかかるが、子牛のときから家族の一員として育てている」と語る。人の暮らしを支えてきた牛は、今も島の心を一つにし、豊かな伝統文化をもたらす主役なのだ。

アクセス

鹿児島、沖縄・那覇から船が運航。鹿児島、奄美の両空港からは空路もある。

小林希

こばやし・のぞみ 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は150島を巡った。

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