「日本で一番、新幹線の駅から近い島」の小佐木島(こさぎじま)は、広島県三原市の約3キロ南の沖合にあり、三原港から船で14分。佐木島(さぎしま)とともに「双鷺洲(そうろしゅう)」と呼ばれる。
現在、小佐木島の人口は5人。そのうち3人は90歳を超える。周囲約3キロの小さな島を歩くと、空き家が目立つ静かな集落のそこかしこに、かんきつ類の木が植えられていた。かつては造船業と農業で栄え、昭和30年代には140人ほどが暮らしたという。
かつては造船業で繁栄、塩田開拓も
郷土資料『さぎしまの歴史双鷺洲』(山下博巳著)によれば、島に人が定住したのは享保10(1725)年より前で、「吉村」姓の武家であったと推察されている。明治から大正にかけて、吉村藤三郎が経営する造船所によって島が繁栄し、島外から大勢の人々が働きに来ていたという。明治37(1904)年、藤三郎は造船業の収益で佐木島に塩田も拓(ひら)いた。
島の対岸・三原港で地域交流拠点「みなとオアシス三原」を運営し、島内外の地域や世代間の交流を支援する「NPO法人みはらまちづくり兎っ兎」の小川和子理事長は、「島の人口は少ないけれど〝第二島民〟として島に関わる人たちが増えている」と言う。
〝第二島民〟が古民家の宿やサウナを運営
第二島民とは、他地域に住みながら実家のある小佐木島に通ったり、移住はしないが別荘や宿を島で経営したりして、小佐木島に関わりを持つ人たちを指す。
例えば平成30年、北海道の建築家が「宿NAVELの学校」という宿をつくった。築90年の古民家を改修し、研修施設として運営している。併設された「ばあちゃん食堂」では、地元の食材を生かした郷土料理などを提供する。海辺にはバルト海沿いの国・エストニア式のサウナ施設「meri小佐木島」も建造した。
それより以前、20年からは民間企業が設立した「ポエック里海財団」が、島の再生を目的に芸術家との協働で、植樹事業や古民家再生事業などを続けている。
5人目の島民は若い彫刻家
その事業で令和5年に「5人目の島民」となったのが、彫刻家の尾身大輔さんだ。島内にアトリエを設け、虫の姿をかたどった木の彫刻を制作して島内外で発表している。尾身さんは「島にいるとインスピレーションが湧いてくる。制作活動によい環境だと思う」と話す。
造船業で島に繁栄をもたらした吉村家は、かつて「瀬戸内の水は枯れても、ここの財産はなくならん」と言っていたそうだ。ならば、今は「島の人口は減っても、この島はなくならん」と思う人たちが集い、島の未来を守っている。
アクセス
小佐木島には、いずれも広島県内の三原港、佐木島、生口島から船が運航。
小林希
こばやし・のぞみ 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は150島を巡った。