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安保闘争と「文化人」の浅薄な発言 話の肖像画 モラロジー道徳教育財団顧問・金美齢<12>

産経ニュース 2024年8月12日 10時0分

《早稲田大学第一文学部(当時)に留学したのが昭和34(1959)年。その翌年、大学は60年安保闘争の大きなうねりにのみこまれた》

留学した翌年が60年安保闘争で、日米安全保障条約改定に激しく反対していた早大の、しかも哲学や思想を研究する文学部だからすごい衝撃ですよ。授業は一切なくなり、教室では「学級討論」と称した集会が毎日開かれた。後年、親しくなった安倍晋三元首相との縁は、この60年安保闘争から始まったような気がする。おじいちゃんの岸信介元首相が学級討論で散々、悪者にされていたから。

来日2年目だから、詳しい背景は分かっていない。「日本ではこんなに自由にものが言えるんだ」というのが、台湾から留学したばかりの学生としての感想だった。一党独裁の台湾では大声で政府を批判すればたちまち鎮圧だし、そもそも声を上げる前に国民党の特務に拘束され、そのまま生きて帰れなくなることもあるから。

でも、私はすぐ気がついた。安保条約改定について反対する声ばかり大きく、それに異論をはさむと糾弾されるので、何も言わずに黙っている人の方が大多数だ、と。そしてメディアの影響もあるな、とも思った。黙っている「サイレントマジョリティー」は報じず、少数の騒がしい人だけを取り上げていたから。さんざん焚(た)きつけておいて、国会前で女学生が亡くなったとたんに報道はピタッとやみ、騒動は沈静化した。主義主張のない人たちは、激しく叫ぶ一部の人たちやメディアに扇動されていたのだな、という思いだった。

《これに続く70年安保闘争や早大闘争には、大学講師として対峙(たいじ)した》

当時は早大で英語講師として授業を持っており、学内では安保条約の自動延長反対とか、授業料の値上げ反対とかで騒ぎになり、学生のつるし上げなどが行われていた。ある日、授業を始めようとしたら、教室の雰囲気がなんか違う。「どうしたの?」って聞いたら、その日につるし上げられている学生が、クラスの子だって言うじゃない。

60年安保の経験もあって、ゲバ棒を手に激しく追及すれば自分たちの主張が通る、というやり方は許せなかった。すぐつるし上げの現場に乗り込んで、「あんたたち、この子はこれから授業なんだから、話があるなら後にして」とやめさせた。

そうしたら周りで見ていた教務課の人がなんて言ったと思う。「金先生、勇気があるねえ」だって。学生を本業である学問に専念させることは教務課の仕事でしょ。卑怯(ひきょう)だな、と感じたことを覚えている。

《一連の安保闘争もあってか、特に「文化人」といわれる人にとって、政府や大学当局といった「体制」やこれまでの価値観に逆らうことが好ましいとされる風潮になった》

修士論文のテーマが英国の劇作家、アーノルド・ウェスカー氏で、彼が来日してシンポジウムが開かれた。日本の英米文学者がパネリストとして並び、私は知り合いの英文学者、小田島雄志さんが登壇するというので聴衆として出席した。そのときのことを小田島さんが回顧した新聞記事を読んで思い出したんだけど、パネリストのある人が「ベートーベンよりもビートルズの方が大事だ」というような発言したのよ。

何、これって。ビートルズがいいとか悪いとか、私には分かんないよ、聴かないし。でもベートーベンの曲は延々と聴き継がれているし、ビートルズとは全く別物でしょ。古典や伝統を否定することで、自分がいかに開かれた人間かということを示そうという、あまりに浅薄な発言だと感じたね。(聞き手 大野正利)

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