Infoseek 楽天

阿久悠さんの言葉を信じ、シンガー・ソングライターに 甲府市出身の伸太郎さん(50) 令和人国記

産経ニュース 2024年7月10日 8時0分

甲府市出身のシンガーソングライター、伸太郎さん(50)は、山梨をテーマにした曲作りやラジオパーソナリティーを務めるなど、地元に根差した活動を続けている。昨年の高校野球選抜大会で初優勝を果たした山梨学院高野球部OBとして同部の支援を続けるほか、伸太郎さん作曲の同校のチャンステーマ「BIGWAVE」が、全国で応援曲として広がっていることも話題だ。

大物作詞家の教え

小学2年から地元の野球チームに入って、高校まで野球漬けでした。左投げ左打ちで、小学校の時は投手、中学では一塁手で県内では強豪でした。当時は春夏ともに甲子園の出場経験はなかった山梨学院高の監督が誘ってくれ、「最初に来てくれた所を大事にしろ」との父の言葉に従い、入学を決めました。足の速さを買われ「1番・センターで使う」と約束されていたんです。

でも、いざ入学するとその監督はおらず、新しい監督で方針も変わり、入学前の約束はどこかへ。それでも2年の秋にレギュラーを取り、県大会優勝を果たしたんですが、選抜には届きませんでした。夏はベスト8どまりでした。

最後の夏が早く終わり、ギターを持っての路上ライブを始めるんです。歌のほうは実家の大衆食堂の宴会場に8トラックのカラオケがあり、そこでお客さんの演歌を聞いたり、自分も歌って「うまい」と褒められていました。なので自分の原点はフォークソングではなく演歌なんです。

中学2年のとき、長渕剛さんにあこがれてギターを始めました。学園祭で披露して拍手喝采でした。高校でも野球部の寮で歌っていたり、筋トレルームで自作の「監督のバカヤロー」なんてオリジナルの曲を歌っていたんです。

そういったことを知っている監督が、高3の10月に「会わせたい人がいる」と、静岡の伊豆に連れて行ってくれたんです。高級外車2台が止まっている大豪邸。作詞家の阿久悠先生の自宅だったんです。監督と旧知の仲の先生に「歌ってごらん」といわれ、長渕さんの「カラス」を披露すると「君はシンガーソングライターになりなさい」って言われたんです。そして「まず母校でコーチをやりなさい。野球には人生の全てが詰まっている。それを歌にしなさい」と。先生に評価されたことで、歌の道を決めました。

地元での活動を決意

無給で山梨学院高のコーチとなり、2年目に選抜で初の甲子園出場を果たしたんです。うれしくて甲子園球場練習時に、ノックでバックスクリーンに3発打ち込んじゃったんです。今は禁止され、「伸太郎ルール」とも言われているようです。

3年間のコーチ生活を終え、曲作り、ストリートライブの本格的な音楽活動に入りました。縁があってある音楽祭に出場を果たし、そこで東京の大手事務所にスカウトされたんです。21歳のことです。約3年間バイトしながら活動したんですが、うまくいかず、自分の原点である山梨に帰り、もう一度見直す決断をしたんです。

すると地元テレビ局の番組の企画でつくった曲「白い風」がCD化され、デビューを果たし、ソルトレークシティー冬季五輪の全国民放ラジオのテーマソングに採用されたんです。富士山をテーマにした曲で、自分は地元で生きていくことを決意したんです。その後も、地元企業の社歌や、その社歌を使ったCMソングなどの活動が本格化したほか、ラジオ番組のパーソナリティーを長らくさせてもらっています。

「BIG WAVE」

山梨学院高野球部ともいい関係を続けてきました。平成25年に就任した吉田洸二監督に「ランナー二塁のチャンスのときに後押しするような応援歌がほしい」と依頼され作ったのが「BIGWAVE」です。甲子園常連校になったうえに、優勝までしたんで、この曲の楽譜を欲しがる学校が全国的に増えていて、うれしいですね。昨年、優勝したときも甲子園でこの曲を聞き、感無量でした。

今は、富士山麓の木を使ったギターをつくっています。このギターが出来上がったら新しいアルバムを作る予定で、いろいろ構想を練っています。

(聞き手 平尾孝)

しんたろう 昭和49年、甲府市生まれ。山梨学院高校を卒業後、音楽活動と並行して母校野球部のコーチを無給で続ける。その後、シンガーソングライターと同時に複数の番組でラジオパーソナリティーとして活動。今年、ラジオ番組で長渕剛さんとの念願の対談を果たした。

この記事の関連ニュース