<当時の出来事や世相を「12歳の子供」の目線で振り返ります。ぜひ、ご家族、ご友人、幼なじみの方と共有してください。>
父は僕が生まれてすぐに出征し、2歳の時に戦死したので、まったく覚えていない。父は三男だから三郎という単純な名前で、弟の四郎は4年前にシベリアから帰ってきたが、凍傷という病気で片足がなく、まだ独身だ。長男の一郎は内地が長く無事で、次男の二郎は終戦から2年後、無事帰還した。
全員が大正生まれで全員が戦争に行った4人兄弟のうち戦死したのは3番目の父だけで、母ちゃんは戦争未亡人というやつになった。戦時中は僕をおぶって軍需工場で働きながら父の帰りを待っていたようだ。空襲の時に手をつないで一緒に逃げたことは何となく覚えている。
終戦直後は近くの足袋工場で働いていたが、突然女の人だけがクビになった。引き揚げの兵隊さんたちの働き口がないからだという。戦争未亡人には、今年から国の恩給が出るようになったそうだが、仕事はおもに内職なので生活は苦しい。一郎おじさんたちは再婚を勧めているが、その気はなかったようだ。
「君の名は」真知子巻きブーム
そんな母ちゃんが今一番楽しみにしているのが、ラジオドラマの「君の名は」だ。東京大空襲で出会った真知子と春樹が、その後も生きていたらまた会おうと約束をしたが、なかなか会えない話のようだ。
近所からもラジオの音が聞こえるので、みんな好きなのだと思う。最初は僕も聞いていたが、真知子が別の男と結婚したあたりから話が複雑になってよく分からなくなった。ただ、真知子はやっぱり春樹のことが好きみたいで、母ちゃんはそんな場面になると涙ぐんで聞いている。戦死した父と春樹を重ねているのかもしれない。
岸恵子さん主演の映画も見に行って、ほっかむりみたいな流行の「真知子巻き」もまねしていて、何だか、かわいらしかった。
この年は2月にNHK、8月に民放の日本テレビでテレビ放送が始まった。と言っても、先日ようやく街頭テレビを遠くから眺めただけだ。一台20万円近いというから普通は買えない。母ちゃんの月の稼ぎからすれば30倍以上だ。でもあんなものが家にあったら、ずっと見てしまって勉強どころではなくなってしまうと思う。
梅雨時から夏にかけては各地で水害が相次ぐ年だった。最初は6月に九州北部で関門トンネルまで水没する大雨が降り、7月には和歌山県の有田川などが決壊、どちらも1千人以上の犠牲者が出た。8月には京都南部の豪雨で300人近くが犠牲になった。日本は急流の川が多いと学校で習ったが、ダムや堤防などで治水を進めないと今後も大変だろう。
バカヤロー解散/朝鮮戦争が休戦
3年前に始まった朝鮮戦争は7月にようやく休戦した。朝鮮半島は終戦まで日本だったが、南北に分かれた戦争でだいぶ国土は荒れてしまったらしい。「休戦」の意味がよく分からないが、少し休んだらまた戦争するのだろうか。日本では吉田茂首相が国会で「バカヤロー」と言って衆議院が解散したが、再び吉田さんが首相になれるなんて、何だか平和だと思った。
戦争未亡人は女手一つで始められるタバコ屋を国が勧めてくれる制度もあるそうだ。母ちゃんに話したら、何と再婚するらしい。
相手は一郎おじさんたちから勧められていた四郎おじちゃんだという。シベリアから帰って来た頃はだいぶ精神的に苦しかったそうだが、今は事務の仕事について働いている。僕は賛成だ。何より新しい父親が知っている人でよかった。
苦労してきた母ちゃんは老けて見えるが、まだ30歳を過ぎたばかりだ。僕は大丈夫だから、新しい人生を歩んでほしいと思う。真知子巻きだって、とても似合っているのだから。
※「君の名は」は昭和27年から29年、毎週木曜午後8時半から9時までNHKラジオで放送され、「番組の時間は銭湯の女湯から人が消える」と言われるほどだった。28年には映画化され、真知子のストールの巻き方が流行した。
戦争未亡人が戦死した夫の兄弟と再婚するのは当時珍しくなく、逆縁婚、もらい婚とも呼ばれた。