福岡市中央区にある国史跡「福岡城跡」に天守閣を再建しようという動きが本格化している。存在が長年議論されてきたが、福岡商工会議所が設けた専門家懇談会が昨年12月、天守はあったとする報告を発表。観光活性化や住民が地域に愛着を抱く契機になるとして、実現への機運が盛り上がる。国史跡に建造物を建てる場合に必要な文化庁の認可、再建資金の調達など多くの壁を乗り越え、令和の築城が実現するか-。
突破口に
天守閣の復元に関して議論してきた「福岡城天守の復元的整備を考える懇談会」による昨年12月20日の記者会見。報告によると、天守は江戸時代初期に建築されたが、のちに破却されたとみて間違いないことや、規模が姫路城(兵庫県)と同等の五重6階、地下1階(高さ26メートル)と推計されることなどが報告された。座長を務めた山中伸一・角川ドワンゴ学園理事長は「天守があったことを前提とした史料がたくさん出てきた。各地で天守をつくりたいという要望は多く、文化庁とのせめぎ合いが続いており、福岡城が突破口になれば」と語った。
復元について市民アンケートでは「賛成」「どちらかというと賛成」が6割を占めたことも示し、史料が十分そろわない場合でも建造物の構造などを多角的に検証して再現する「復元的整備」を迅速に進めることが適切と提言した。
新史料「建てた」
全国には熊本城(熊本県)のように写真を元に復元された「外観復元天守」や、大阪城(大阪)など史料に基づきながらも一部に推定の部分がある「復興天守」として再現された天守閣がある。
福岡城は江戸時代に福岡藩の初代藩主、黒田長政が築城したが、天守閣の存在を直接的に示す史料がなく、存在が長年議論されてきた。しかし近年になって天守の存在を示唆する史料が相次いで発見され、昨年12月10日には福岡市が、福岡教育大学が保管する史料に「天守を建てた」との記述があることを発見したと発表。地元財界を中心に復元を求める声が大きくなってきた。
高松市の高松城など各地で天守復元に向けた動きがあるが、実現には文化庁の認可が必要。史料に基づく厳格な審査が行われる。文化庁は令和2年に基準を緩和し、国史跡などで歴史的建造物を復元する際、本来の意匠や構造が正確には分からなくても許可を得やすくする新基準を決定した。
それでもハードルは高く、福岡の懇談会によると、福岡城天守の復元についても「指図や外見写真などが必要」とする姿勢がうかがえたという。
福岡市の高島宗一郎市長は「今は議論を喚起し、ベースとなる情報を発信する役割を果たすときだ」と道のりが長いことを示唆した。
地道な調査を
「日本100名城」を選定している日本城郭協会(東京)の加藤理文理事は「文献や発掘などの地道な基礎調査ができて初めて次のステップにいける。城郭ブームを支えているのはコアなファンで、しっかりとした史料に基づく復元でなければリピーターは来ず、一過性で終わってしまう」と指摘する。
天守復元には多額の資金も必要となり、市民や企業の協力も不可欠。クラウドファンディングを活用するにしても、城ファンが納得する取り組みが求められる。平成28年の熊本地震で被災した熊本城には「復興城主」などの取り組みで多額の寄付が寄せられた。
国史跡である福岡城の発掘調査は文化庁と協議の上で進める必要があり、市は天守台とその周辺での学術的な発掘調査に向け、調査方法などを協議している。
福岡商工会議所の谷川浩道会頭は「しっかりと天守台の調査をすれば何らかの知見が得られる」とした上で、「天守という存在はアイデンティティーにつながる。郷土に誇りをもつことが、まちづくりの大きな原動力になる」と強調する。経済界の声だけでなく、補強史料の発見や発掘調査が進み、復元が地域を挙げた目標となることが鍵を握りそうだ。(一居真由子)