無病息災、開運招福、千客万来…。願いを縁起物に託す年の初め。〝おいでおいで〟のポーズが愛らしい招き猫を、暮らしや仕事の場に置いた人もいるのではないだろうか。右手を上げれば金運を招き、左手は人を招く、といわれる。
東京都世田谷区にある古刹(こさつ)、豪徳寺。冬のキリッと締まった空気の中、おびただしい数の招き猫がひしめき合う。願いが成就したお礼にと、参詣者が奉納したものだ。役割を終えてもなお、見ているだけで前向きな気持ちがわいてくる。
招き猫の発祥は各地に諸説ある。中でも知られているのは、このお寺で飼われていた「たま」という名の白猫にまつわる話だ。
《彦根藩の2代藩主、井伊直孝が鷹狩りの帰りに通りかかると、門前で猫が手招きしていた。誘われるまま寺で過ごすうち、空が曇って雷雨に。難を逃れたことに感謝し、菩提寺(ぼだいじ)として再興した》
滋賀県彦根市のご当地ゆるキャラ「ひこにゃん」も、この〝招き猫〟の伝説をもとに誕生した。
猫が持つ不思議な力
各地で猫を撮影し、毎年カレンダーにして出版する産経新聞の尾崎修二カメラマン(59)は、「手招きこそされなかったけれど、僕も似たような経験がある」と話す。
「猫島」と呼ばれる宮城県石巻市にある田代島を訪れたときのこと。島内の猫神社へ向かう途中、遠くから猫が駆け寄ってきた。「カメラを構えると踵(きびす)を返し、何度も振り向きながら道案内をしてくれた。神の使いだと感じました」
猫には不思議な力が秘められている-。それは絵になっても信じられていた。江戸時代、養蚕が盛んだった群馬県では「猫絵」が守り神に。群馬県立歴史博物館の学芸員、武藤直美さん(49)が当時の様子を教えてくれた。
「農家にとって大事に育てた蚕を食べてしまうネズミは大敵でした。蚕を守るために猫を飼いましたが、高価だったので手に入れられない農家は、代わりに猫絵を張ってネズミよけのお守りにしたのです」
古来、人の幸せに寄り添う縁起猫。豪徳寺ではこう説く。《福は与えられるものではなく招き寄せるもの。縁を生かせるかどうかは、その人の日々の心がけが大事なのです》
江戸の土で「丸〆猫」を再現
かつて東京・浅草周辺で作られた「今戸焼」の土人形が招き猫の元祖とされている。「丸〆猫(まるしめのねこ)」といい、横座りでよだれ掛けを着け、腰に「〇に〆」の模様が浮き上がっているのが特徴だ。
「福徳を丸くせしめる(丸ごと自分のものにする)、という験担ぎの意味があります。江戸時代末期の文献に浅草で大流行した記述が残っていて、錦絵にも描かれていますよ」
今戸人形作家の吉田義和さん(62)が絵筆を動かす手を止め、表情を緩めた。
作り手が絶え、戦前までに廃れてしまった地元の素朴な郷土玩具を復元したいと約30年前、この道を選んだ。古い招き猫をはじめ、文献や遺跡からの出土品まで徹底的に研究することから始めた。
基礎となる土は隅田川・荒川流域から採取し、丁寧に精製する。粘土ができたら型で抜いて焼き、カキ殻から作られた胡粉(ごふん)や膠(にかわ)などで色を付ける。江戸の土と昔ながらの手法にこだわる。
「だから『江戸前』といえるのです。風合いも含めて、できるだけ昔の姿を再現して伝えたい」と、吉田さんは熱意を込めた。(榊聡美)