伊豆諸島で製造される焼酎「東京島酒(しまざけ)」が、ブランド化や販路拡大を進めている。かつては、ほとんどが島内で消費されていたが、近年は島外に進出し、3月には地域の農林水産物や食品のブランドを守る地理的表示(GI)に指定された。発祥のきっかけが同諸島が罪人の島流し先だったことにあるなど、味だけでなく島の歴史にも注目が集まり始めている。
島流しの薩摩商人
「東京島酒は島民の知恵と執念によって作り上げられ、今日まで受け継がれてきた」
都内で9月に開催された東京国税局による東京島酒の試飲会イベントで、焼酎の歴史に詳しい鹿児島大の鮫島吉広客員教授はこう太鼓判を押した。
東京島酒には芋焼酎と麦焼酎、芋と麦のブレンドの3種類がある。原料である芋や麦を発酵させるための「麹(こうじ)」に、国内で一般的に使われる「米麹」ではなく「麦麹」が使われているのが特徴だ。
麹をはじめとする島独自の製法には、同諸島ならではの歴史や気候が関係している。
東京島酒の起源は江戸時代の1853(嘉永6)年まで遡る。密貿易の罪で伊豆諸島の八丈島に島流しとなっていた薩摩藩出身の商人、丹宗庄右衛門(たんそうしょうえもん)が、島民に焼酎の製法を伝えたことがきっかけとされる。
八丈島に関する文献などによると、伊豆諸島には当時、水田に適した土壌が少なく米は貴重だった。
そのため、米麹は使わず、島で多く栽培されていた麦で麹を作って代用。芋の栽培が島で広がりつつあった時期という偶然も重なり、麹に麦、原料に芋を使った独特の芋焼酎が八丈島やその他の島にも広がっていったという。
昭和50年代に芋畑が台風で被害を受けたことをきっかけに、原料に麦を使った麦焼酎も定着した。
温暖多湿ならではのコク
降水量が年平均約3000ミリの温暖多湿な環境で発酵が促進されることで、東京島酒ならではのコクが生まれ、鮫島客員教授は「技術や製法は移せても風土は移せない。伊豆諸島特有の環境が島酒の誕生に大きく寄与した」と話す。
輸送費などの問題もあり、最近までほとんどが島内で流通、消費されていた東京島酒。だが、新型コロナウイルス禍の影響で島内での需要が減少。島の蔵元は島外へ販路を求めた。
認知を高めるため、各島の蔵が団結し、固有の歴史や独自性をアピール。そのかいあって今年3月には、品質や特性などが認められ、輸出促進を目的に国税庁が選定するGIに指定された。日本の焼酎でGIが認められたのは約18年ぶり。
フランスでも販売
9月11日の試飲会には、伊豆諸島の蔵元7社が一堂に会し、飲食店関係者ら約200人が参加した。
横浜市の酒販売店で働く男性(36)は「香りがはっきりしていて、後味の余韻も長い」と話す。
島の蔵元の一部は現在、海外での本格展開も見据える。GIは特にヨーロッパで浸透しており、輸出を後押しすることも期待できるからだ。
東京島酒の銘柄のひとつ「情け嶋」はフランスやオランダ、台湾などで販売されている。
情け嶋の蔵元でGI東京島酒管理委員会に所属する小宮山善友さん(49)は「少しずつではあるが手応えを感じている」と話している。(久原昂也)
地理的表示(GI)制度 特別な生産方法や歴史のある農林水産物などを、産地名を冠した地域ブランドとして保護する制度。世界貿易機関(WTO)の加盟国には、ぶどう酒と蒸留酒について地理的表示の保護が求められている。日本の焼酎については平成7年に壱岐(長崎)、球磨(熊本)、琉球(沖縄)の泡盛が蒸留酒のGIとして初めて指定され、17年に薩摩(鹿児島)の焼酎が加わった。