「万博未来考」第3部では、2025年大阪・関西万博(来年4月13日開幕)が、私たちの衣食住などの暮らしにどんな「革命」をもたらすのかを展望した。このテーマに詳しい5人に改めて聞いた。
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現在はUCCジャパンの子会社となっているUCC上島珈琲(神戸市)の創業者、上島忠雄氏が神戸で食材卸を始めたのは昭和8年。その頃、喫茶店でレギュラーコーヒーを初めて飲んで感動したそうだ。コーヒーは喫茶店でゆっくり飲む高級品で、外で飲む習慣はなかった。「一人でも多くの人にこの味を知ってほしい」と思ったのが、現在に至るまでのコーヒー事業の原点だった。
上島氏は戦後の26年に「上島珈琲株式会社」を設立し、輸入が再開されたコーヒーを喫茶店に卸す事業を始めた。
当時は喫茶店以外では瓶入りでミルクコーヒーを売り、飲んだ後の瓶は店に戻すのが一般的だった。あるとき、駅の売店で瓶入りコーヒーを購入。一口飲んだところで電車の発車ベルが鳴り、飲み残したまま瓶を返さなくてはならなかった。
「もっと手軽に、いつでもどこでも飲めるようにできないか」と考えた上島氏が開発に挑戦したのが缶コーヒー。缶の中でコーヒーとミルクが分離したり、コーヒーのタンニンが缶の鉄分と反応してしまったりなどの技術的課題を克服して、44年4月に世界初の缶コーヒー「UCCコーヒー ミルク入り」を発売した。
ところが、当初は喫茶店業界から「邪道」と非難され、外で出歩きながらコーヒーを飲む習慣もなかったことから、なかなか売れなかった。転機を与えてくれたのが、1970(昭和45)年大阪万博だった。
万博会場(大阪府吹田市)に近い同府高槻市にあった工場から冷やした缶コーヒーをトラックで会場へ輸送。夏場、レストランが満席で入れない来場客が、競って缶コーヒーを買い求めた。
当時のテレビニュースをみた人々の目は、来場客が手にしていた飲料にくぎ付けとなった。各地のスーパーマーケットなどの店舗に「あれは何だ」と問い合わせが殺到し、飛ぶように売れた。缶コーヒーを万博が一躍、世に知らしめた。
今から思うと、万博には未来がたくさん詰まっていた。缶コーヒーはその後、他社が相次ぎ採用し、「いつでもコーヒーを飲める」という上島氏の夢が実現した。
コーヒーにはポリフェノールをはじめ香りや味をつくり出す成分が約900種類入っており、これまでと違う味わい方ができる可能性がある。もともとは薬として飲まれていたこともあり、健康や美容への効果も確認されている。まだまだ伸びしろがある。
当社はコーヒーが持つ可能性を一つ一つ形にしていきたい。2025年大阪・関西万博での出展は検討中だが、万博が新しい食文化の発展につながることを期待したい。(聞き手 牛島要平)
さかえ・ひでふみ 甲南大卒業。昭和60年、UCC上島珈琲入社。横浜支店支店長、マーケティング本部業務用企画部長などを経て、平成20年、UCCグループが運営する専門学校「UCCコーヒーアカデミー」の運営責任者。令和2年から同アカデミー学長兼UCCコーヒー博物館(神戸市)館長を務める。兵庫県出身。62歳。