《「恐怖のヤッちゃん」で大人気となったニッポン放送の夜の生番組「三宅裕司のヤングパラダイス(ヤンパラ)」。人気企画はそれだけにとどまらなかった》
「出前鼻血ショー」といって、1人で受験勉強している男の子の家にストリッパーのお姉さんを連れてって、1曲踊ってもらうのもありました。今ではできない企画ですね。
「食べ物を作ろう」というのも出てきました。「インスタントラーメンがいい」ということになり、日清食品に話を持っていったら「面白いですね」っていうのでどんどん進んでいったんです。
リスナーからアイデアを募集しました。(日清食品の)ラーメンを研究している部署に、抹茶味のラーメンとかコーヒー味のラーメンはどうだとか、アイデアが来るたびに相談しにいったんです。
「それはきついんじゃないか」とかむちゃなリクエストもあるわけですが、変わったラーメンを作らないと意味がないと頑張っていただいて。何度か試食して、最終的にはコーヒー色のコーヒー味の麺に合うスープを作って、「ヤンパラフル」という名前で完成しました。
それをスタジオアルタ(東京都新宿区)前で売り出すことにしました。そうしたら、「まさかこんなに来るとは思わない」というくらいものすごい人数が来てしまい…。大混乱になって警察に怒られました。
でも、それをスタジオアルタの上から見たとき、「これだけの人が話を聞いてくれていたんだ」と感動しましたね。
《不思議なパワーを秘めているとされた、正三角形と逆正三角形を重ねた「ヒランヤ」(六芒星)を都内のどこかに埋めるから、ヒントを基に探してください、という企画もあった。ヒントは2週間かけて出す予定が、熱心なリスナーはわずか2、3日で飛鳥山公園(東京都北区)と突き止め、埋める前にリスナーが公園に殺到して掘り起こし、担当者が北区役所に呼び出されたことも》
次々と出てくる企画をノリノリでやって、おもしろがっていました。
新聞に載っていた中曽根康弘首相(当時)の動静を読む「中ちゃんの一日」というのもありました。そのうち、(中曽根首相に)ヤンパラに出てもらおうと、スタッフが画策しました。
《ニッポン放送の報道担当などの協力を得て、中曽根首相の秘書と連絡がついた》
誕生日を祝うメッセージをリスナーから募集して事務所に届けたら、中曽根首相から直筆のお礼の手紙が届いて、番組の中で読みました。
翌年の誕生日は番組の企画で首相官邸にリスナーの代表が行って、首相に直接お祝いメッセージを届けました。
そのあたりの裏の話は僕、知らなかったんです。
その夜のヤンパラの放送中、本当に中曽根首相から電話が入りました。夜ですから、最初は警備室に電話が入り、スタジオには直接つながないんですよ。
スタッフから「電話がかかっているよ」と伝えられて、「誰から?」。中曽根首相本人だといわれて、びっくりしましたよ。
スーパー・エキセントリック・シアター(SET)が初期のころ、「タイニイアリス」(東京都新宿区)という小さな劇場(現在は閉館)で公演を打ったら、初日に花が届きました。名義がサザンオールスターズとイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)。小劇場にビッグネームから花が来るというので、劇場側は「ここはどういう劇団ですか」って不思議がってましたね。
でもヤンパラの6年間で、三宅裕司とSETの知名度がぐんと上がりました。(聞き手 慶田久幸)