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宮廷から伝わる「有職畳」技術保持へ若手育成 奈良・吉野の畳職人

産経ニュース 2024年8月25日 18時30分

有職故実(ゆうそくこじつ)に基づいて作られ、寺社などに用いられる「有職畳(ゆうそくだたみ)」の技術継承が危ぶまれる中、奈良県吉野町の畳職人、浜田賢司さん(70)が各地で研修会を開き、若手育成に取り組んでいる。一般的な畳と構造が異なり全て手作業だが、約半世紀にわたり培った高度な技術を惜しげもなく伝えている。背中を押すのは、伝統を絶やすまいとする職人の矜持(きょうじ)だ。

「畳は針で縫ってギュッと締める。それでも仕上がりはふわっとソフトに」。6月2日に吉野町で開かれた研修会。関東から九州まで約40人の職人を前に、浜田さんが有職畳の一つ「厚畳(あつじょう)」の作り方を指導していた。

奈良県宇陀市室生の畳店で働く久保田貴勇さん(38)は「単純作業に見えるが、おろそかにすると仕上がりが悪くなる。きちんとした有職畳を納められるよう腕を磨きたい」と意欲を見せ、全日本畳事業協同組合の石河恒夫理事長(63)は「有職畳という一握りの人しかできない高等な技術を、個人として惜しげもなく若い人に伝える姿に敬服する」と話す。

江戸時代から300年にわたって続く「浜田畳店」の14代目となる浜田さん。有職畳の技術継承のため平成2年に「TTM(畳・テクニカル・マネジメント)クラブ」を立ち上げ、年に数回全国で研修会を開いている。

有職畳との出合いは、京都の畳専門の訓練学校を卒業した後の20代後半、京都御所の畳の張り替えを手伝ったことだ。

普段は入れないような特別な部屋に入れてもらったとたん、畳が醸し出す深みを感じた。「言葉では表現できない、これが伝統かと思った」

京都の職人に学びながら、独自に有職故実関連の文献を読みあさった。現代のようにマニュアル本があるわけではなく、時には寺社を訪ね、畳をじっくり観察するなどして技術を磨いた。

それからは、「町の畳屋さん」として一般住宅の畳を作る傍ら、吉野町の国宝・金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂や、同町の吉水(よしみず)神社書院(国重要文化財)の「後醍醐(ごだいご)天皇玉座の間」などに有職畳を納めた。

令和2年の明治神宮鎮座百年祭では、明治天皇をまつる御神座(ごしんざ)を手掛けた。御神座は明治天皇のご神体が鎮座し、大正9年の神宮創建時から有職畳が用いられ、国内で最も格式が高いともいわれる。畳縁の模様のわずかなずれも許されないが、「恥ずかしくない仕事ができた」と振り返る。

令和2年には、畳製作が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産「伝統建築工匠(こうしょう)の技 木造建造物を受け継ぐための伝統技術」の一つに選ばれた。

「常に足に踏まれるものかもしれないが、伝統文化であることを世界が認めてくれた」と浜田さん。「畳があるから部屋に上がるときに履物を脱ぐ。清潔さを尊ぶ日本人の根っこに通じるのが畳なんです」。技術にとどまらず、畳に込められた精神を、後に続く人に伝えようとしている。

苦境にあえぐ畳業界 需要減少で担い手も不足

畳業界を巡る現状は厳しい。畳離れによる需要減少や跡継ぎ不足で生産量は減る一方、近年は素材の確保も難しくなっている。

農林水産省によると、畳表の国内生産は平成10年の2200万枚が令和5年は150万枚と10分の1以下に激減。フローリングの普及などライフスタイルの変化で需要が減ったことに加え、高齢化や後継者不足で職人の数も減ったことが背景にある。畳店の全国組織「全日本畳事業協同組合」の会員は、平成初め頃には4千~5千人だったが、今年は約2千人となっている。

本来の畳は、稲わらを交互に積み重ねて麻糸で縫い締めた畳床(たたみどこ)に、イグサを編んだ畳表を張って、畳縁を縫いつけて仕上げる。ただし近年は農作業の機械化で稲が細かく裁断されるため、畳床に使える長い稲わらの確保も難しくなり、軽量化のため発泡スチロール系素材などを使うことが多い。さらに機械縫いが主流となり、手縫い技術の継承も危ぶまれている。(小畑三秋)

有職畳(ゆうそくだたみ) 平安時代以降に公家や武家屋敷に用いられた畳。宮廷儀礼や装束、しきたりなどを集成した有職故実に規定され、身分によって畳の厚さや縁(へり)の模様が決められた。現在は、寺院の本堂や僧侶が法要で座る場、神社のご神体を安置する本殿などに用いられている。

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