《天安門事件後の中国当局の監視の目をくぐりぬけ、悲願の来日を果たした通訳の蘇建民氏が仏像の輸入販売に乗り出した。2人で東京・浅草の仏具店に売り込んだとき…》
蘇建民が中国から輸入した仏像にお仏壇屋さんのご主人はご満悦だったんです。「いいお顔ですね」って。製作は彫刻で有名な浙江省温州市の彫師たちに頼んでおり、僕が見ても相当な技量と分かります。あとは素材です。仏像は檜(ひのき)から柘植(つげ)、白檀(びゃくだん)と価格が上がっていく。前回も話しましたが、同じ大きさの仏像でも檜は2万円以下なのに白檀は150万円になったりします。そこで蘇建民は大きさや素材の異なる仏像を並べ、ご主人と値段交渉をするわけです。
ここからの蘇建民にはびっくりでした。まずご主人から「おいくらでしょうか?」と尋ねられます。「この仏様は30万円、こちらは10万円」と蘇建民。ご主人が何体か選んで合計200万円ぐらいになった。ここでご主人は「少しは安くしてね」と言うわけです。僕にも「社長、できるよね?」と。もうすでにかなりの利益は出ているので、僕は「ええ」と答えた。すると突然、蘇建民が「ダメです! 絶対に安くはしません!」って声を荒らげたのです。
《蘇氏の本心とは》
僕からすれば「ちょっと待て、何を考えているんだ」となりますよね。「蘇建民、少しは安くすればいいんじゃないか」と。すると「社長、この店は200万円で買っても数倍の値段をつけて売るんですよ。見てください、あんな変な顔の仏様もあんなに高く。それなのにこの立派な仏像を安くしろと言っているんですよ」と。そしてご主人に向き直って、「あなたの頭はおかしいよ」って、本当に言っちゃったのね。僕はびっくりしたわけですよ。
ご主人から「社長、この人は何なのですか?」と言われ、僕は蘇建民に「ちょっと謝った方がいいよ」と。すると蘇建民は「謝る必要はないし、こんな人に売る必要もない。帰りましょう」ってお店から出ていった。もう理解できません。
歩きながら問いただすと、「相手はいい仏像を買いたがっているんです。だからいい仏像を持ってきてくれた僕に『安くしろ』と言うのは失礼じゃないですか」と。まだよく分かりません。で、次に別のお仏壇屋さんに行ったんです。このお店は柘植の仏像を3体、買いたいという。1体10万円で提示したのに、蘇建民は「では今回は特別に35万円で」と言う。当然、けんか別れになりました。
《新しい「売り方」を覚えた》
なぜ蘇建民は提示価格より高く売ろうとしたのか。「社長、僕はこんないい仏様をやっとの思いで集めてきたんです。いい仏様を欲しいと思う人はいっぱいいます。そこで3体しか集まらなかったとすれば、あのお店が買い占めることになりますよね。だからあの仏様を欲しがっている他の方々のためにも30万円では売れないんです」
僕は「たくさん買ってくれれば安くします」と思っていたのですが、蘇建民は「希少価値のあるものをたくさん買うのであれば、少しは色をつけさせてもらいます」という考えです。そこで僕は新しい売り方を覚えたのね。蘇建民は「これからは1人で商談に行きます。けんかになって、社長に迷惑がかかるから」と。で、年間1億円以上も売り上げるわけです。
その後、蘇建民の要求もあって中国からもう一人、スタッフを呼びました。それがある朝、ストックしていた仏像とそのスタッフとともに蘇建民が消えた。「独立します」と。これにも度肝を抜かれましたが、考えてみれば、蘇建民は終業時刻後も仏像の修理をするなど情熱はすごかった。深夜までヤスリで削ったりね。「捨てればいいじゃないか」と言うと、「仏様には彫師の魂がこもっているんです」と言う。こうしたこともあり、僕は独立を認めました。(聞き手 大野正利)