年収103万円を超えると所得税が課される「年収の壁」が注目される中、シニアにも年収の壁がある。働いて一定の収入がある高齢者の老齢厚生年金を減らす「在職老齢年金」制度の適用基準額「月収50万円」だ。政府は人手不足に対し、「働き損」の状態を解消して高齢者の就労を促そうと、今年の5年に1度の年金制度改革で基準額を引き上げる方向で調整している。
長野県に住む70代の男性は60歳で地方公務員を定年退職し、民間企業に再就職した。65歳から年金受給を始めたが、月収が基準額を超えてしまう。年金を満額受給するために基準額に収まるよう、企業と就業時間や給与などの労働条件を調整した。「基準額がもう少し高かったら、その分たくさん働いて、老後の蓄えを増やすことができた」と振り返る。
在職老齢年金制度とは月収に応じて、働く高齢者の厚生年金を減額する仕組みだ。昭和40年の制度改正で導入され、当時は一律2割減額して支給していた。昨年4月からは、65歳以上の人は給与(月給+賞与を12で割った額)と厚生年金(加給年金分を除く)の合計が月50万円を上回ると、超えた金額の半分が支給停止となる。
例えば、月収が給与50万円と厚生年金10万円で計60万円の人は、基準額を超過した10万円の半分(5万円)が年金から差し引かれる。減額分が後になって支給されることはない。
厚生労働相の諮問機関、社会保障審議会が昨年11月25日に開いた年金部会の会合で、厚労省は基準額を50万円から引き上げる案を示した。部会では基準額を①62万円に引き上げ(満額受給の高齢者20万人増)②71万円に引き上げ(同27万人増)③制度廃止(同50万人増)―の3案を提示。ただ、厚労省は満額受給の人数増加による年金財政の悪化を最小限にしたい考えとみられ、増える年金額が1600億円と3案の中でも最も少ない①の62万円への引き上げが有力視されている。
働きながら年金を受給する65歳以上は令和4年度末時点で約308万人。このうち、当時の基準額47万円を超える減額対象者は約50万人で、支給停止となった総額は年間4500億円だった。
基準額内に月収を抑える「働き控え」も少なくない。現在は70歳まで厚生年金保険に加入することができるため、高齢者の就労は自身が受け取る年金額の増加にもつながるが、働き損になりかねない制度が高齢者の就労意欲を阻害しているとの指摘があった。
年金制度に詳しい昭和女子大の八代尚宏特命教授は「在職老齢年金制度の適用基準額が引き上げられれば、年金財政が厳しくなる可能性はある。ただ、今後は少子高齢化で高齢者や主婦にも働いてもらわなければならなくなり、高齢者の就労意欲を阻害する制度は経済的にも正しくない」と指摘している。
65~69歳は2人に1人が働いている
人口が減少する中で、65歳以上の高齢者は昨年9月15日現在の推計で、3625万人と過去最多になり、人口に占める割合も29.3%と過去最高。令和5年の65歳以上の就業者数も914万人で、比較可能な昭和43年以降最多となっている。
総務省によると、65歳以上の就業者数は平成16年以降、20年連続で増加。令和5年の15歳以上の就業者総数に占める65歳以上の割合は13.5%と、7人に1人を65歳以上が占めている。
65歳以上の就業率は25.2%で、主要国(G7)の中で最も高い。年齢階級別にみると、65~69歳の就業率は52.0%、70~74歳は34.0%、75歳以上が11.4%といずれも過去最高だった。65~69歳は2人に1人が働いている計算になる。
65歳以上の就業者を働き先別でみると、役員を除く雇用者が543万人で60.0%、自営業などが257万人で28.4%、会社などの役員が105万人で11.6%。役員を除く雇用者を雇用形態別にみると、パート・アルバイトの割合が52.7%と最も高い。
3年の改正高年齢者雇用安定法施行で70歳までの就業機会確保が企業の努力義務となっており、働く高齢者はさらに増える見通しだ。(小島優)