――産経と読売は考え方が近く、朝日と毎日も近いが、両二社間では正反対との指摘ですが。
渡辺 憲法は見直し、改正しなきゃいかん。いまの憲法は、終戦直後の占領軍の若手ニューディーラーが一週間で作って日本に押しつけて、ほとんど修正を許さなかった。そういう憲法を永久に不磨の大典として守るべきかどうか。片方は、出生のいきさつはどうあろうと、これは反戦憲法だから大変いいんだ、一字も変えてはならないと主張している。これ正反対じゃないですか。だから、商品としては正反対の商品ですよ。
――読売新聞は改憲草案を昨年発表しましたが、新聞社の独自性というのをかなり意識して、社長自身が号令を下した…。
渡辺 新聞は独自の主張を持つべきだということは当然、念頭にありますよ。と同時に、戦後五十年たって、まだ占領軍の押しつけた、しかも翻訳憲法ですからね。用語の間違いまで一字一句変えちゃいかんという考え方は、どう考えても不合理で、許すべからざる愚民思想ですよ。それと闘って、独立国にふさわしい国民による民定憲法をつくるべきなんだ。なにも軍国主義憲法をつくれなんて言っているんじゃない。平和主義でいいんですよ。どうしてそれがいけないのか、分からんのですがね。
――独自の言論が新聞の生き残る道であり、マルチメディア時代になっても、これがある限り新聞は存在感を失わないというわけですね。
渡辺 新聞は存在感を失わないと思うんだよ。僕は朝起きて、最初に読売新聞の一面を見ますよ。その次は産経新聞の「産経抄」を見て、それからちょっとやっかいだけど何枚かめくって、「正論」を読む。順序が決まっているんですよ。そうしないとストレスが解消しないからね。産経抄と正論というのは、僕にとってストレス解消に非常に役立っている(笑い)。スカッとして気持ちがいい。
――産経のよき読者ですね。どうもありがとうございます。
渡辺 朝日新聞の社説を読むと、朝から血圧上がりますからね(笑い)。事実だから、これ書いてかまわないですよ。そういう商品特性の違いがあるじゃないか。その違いがあるものを複数存在させなければ民主主義国家といえますか。言論の自由を守る国家といえますか。
ところが、公正取引委員会の官僚や学者先生は、新聞はトイレットペーパー、インスタントラーメンと変わらないというんだからねえ。どう考えたっておかしいじゃないですか。トイレットペーパーやインスタントラーメンに民主主義とか全体主義とかいった思想性があるんですかね。どうして分からないのかね、そういうことが。
国民を侮辱した愚民思想だと思うね。公取委の学者たちの、新聞はトイレットペーパーと変わらないというあの思想は。国民をほんとにばかにしている。
終戦直後は確かに便所で新聞を使った時期はあるけどもね。その意味じゃ新聞とトイレットペーパーは同一だったかもしらんが、いまはもう戦後五十年たって、世界最大の経済大国になったのに、まだ新聞とトイレットペーパーの差が分からんというのは、五十年前の段階で思考停止した化石人間だ。 (文化部長 小林静雄)