狂言はもてないし、マイナー
大学を卒業したのは平成元年。僕にとっての「昭和」は生まれてから学生時代が終わるまで、という感覚です。昭和40年代から50年代にかけて、日本の伝統芸能界は結構、厳しい時代でした。父(狂言師の人間国宝、野村万作)は働き盛りでしたが、いまの僕なんかよりずっと暇で夏はよく家にいました。それぐらい、一般の方の狂言への認知度は低かったですね。
あの頃、音楽をはじめアメリカ文化がどんどん日本に入ってきたこともあり、日本の若い人たちは自国の古い文化にあまり興味を持っていなかったのではないでしょうか。僕自身、狂言の家に生まれながら、狂言をやらなくちゃいけないとは思っていなかった。マイナーなことをやっても、もてないだろうなと思っていたのです。
高校生の頃はロック音楽が好きでクイーンやポリスに夢中。ロックスターになれるならなりたいと思っていたぐらいでした。「かっこよさ」がすべての原動力。そんな僕には狂言はどこかマイナーな感じがしていたのです。
時代は必ず循環する
覆してくれたのは父でした。父の「三番叟(さんばそう)」は衝撃的でかっこよかった。マイケル・ジャクソンの「スリラー」と、かっこよさという点では同じじゃないかと感じたのです。
それなら僕がマイケルのまねをするより、父の「三番叟」を継ぐ方が、自分の適合性やアドバンテージを考えるといいんじゃないかと。何より狂言という芸能をかっこいいと思えるようになりました。
時代は必ず循環する。ファッションだって、一回、はやらなくなっても時代が巡ると同じようなファッションが流行する。古いと感じていたものがかっこよく見えるじゃないですか。
子供の頃から父の関係で海外公演が多く、外から狂言を見ることができたのも大きかったですね。
一見、古く見えても、その中に普遍的な核のようなものがあって表現や提示の仕方で新しく見える。日本の文化は西洋的なものと比して絶対に負けていない、逆にオリジナリティーはすごい。そういう意識が芽生え、後の仕事につながっていったように思います。
タブーなくなった能楽界
昭和は、僕の感覚でいうと、「戦前生まれ」「戦後生まれの団塊の世代」、そして、僕のような昭和に生まれたけれど大人になったのは平成という「新人類」の3世代に分けられるように思います。小学生の頃、自宅のマンションから学生運動のデモを眺めていましたが、僕たち新人類はそういうイデオロギーに左右されない世代でした。よくいうと、もっと自由で選択肢が多くあった。
かつて能楽界には異流共演をはじめタブーがあり、父の世代はそれをどう克服していくかという時代でした。でも僕の頃には父たちのおかげもあってタブーはほとんどなく、守るべきところは守りながら、どこまで変えていけるかを考える時代になった。
こっちから見たらどう見えるか、あっちから見たらどう見えるか、それを芸術活動の中で考え、創造に結び付けていく。
最近では「能狂言 『鬼滅の刃』」をシリーズで2作演出しましたが、新作を作る以上は時代に関係なく古典と同等の価値のあるものを作りたい。そこに僕の存在意義がある、と思っています。 (聞き手 亀岡典子)