《オーディション番組「スター誕生!」に出場したが不合格となり、クラスメートに宣言した「歌手になる」の夢がついえた。その直後に「プロ野球選手になる」とまた宣言し…》
僕は中学1年生のころから身長が180センチ近くあり、野球部では投手として先輩たちより速いボールを投げ、三振もいっぱい奪っていたのです。が、試合に出られない。「どうして?」ってなりますよね。で、監督に聞いてみた。すると「上下関係ってあるだろ。先輩が優先だ」と言う。先生ですから教育の一環と思われていたのでしょうが、「試合は勝つためにやるんじゃないの」って、当時の僕は理解できませんでした。
で、どうしたか。だったら3年生になって入部すればいい、といったん退部したんです。その後は1人で壁に向かって投球練習を続け、3年生で入部し直しました。上級生ですから、今度は試合に出られる。公式戦ではヒットは打たれないのですが、0対1の負けばかりでした。四球やエラーで負けてしまうんです。自分で打って返せばいいのですが、そううまくはいきません。
そんなころに「スター誕生!」で不合格となって歌手の道が途絶え、プロ野球選手になると宣言してしまった。で、プロになるためにはどうすればいいか。それで野球の強い高校に行って甲子園で活躍し、ドラフト会議で指名してもらおう、となったんです。
《選んだのは宮城の強豪、東北高校だった》
本当は広島の広陵高校に行きたかったんです。広島カープのファンだったので。山本浩二とか衣笠祥雄、外木場義郎とか、かっこよかったからね。でも、福島からはあまりに遠い。で、近くの強豪、東北高校です。
東北高校に行くにしても、果たしてどんなレベルか、見当もつかなかった。行ってもレギュラーにならないと意味ないでしょ、目標はプロ野球選手ですから。さらに僕は自分の実力もよく分かっていなかった。というのも、通っていた福島大学付属中はなかなか練習試合ができなかったからなんです。
その理由は他校の野球部員の頭髪はみんな丸刈りなのに、うちは国立中学のぼっちゃん集団でふさふさ。それで嫌われて、練習試合をしてくれない。だから公式戦ではヒットを打たれなかったけど、自分が果たしてどのぐらいのレベルか、分からなかったんです。
《そこで視察に》
両親は「福島の高校で勉強して早稲田大学に行け」と反対でした。でもクラスメートに「プロ野球選手になる」と宣言したわけで…。東北高校の野球部には部員が150人も200人もいると聞いていましたから、とりあえずは練習を見に行こう、と。自分よりもはるかにすごいな、と思えば諦めなくちゃいけないし。
で、中学3年生の10月ぐらいに、授業の4時間目で先生に、「ちょっと進学希望の高校に行ってきます」と断って東北高校に向かった。仙台駅まで電車、それからバスで、グラウンドに着いたのがだいたい午後3時半ごろ。で、上の方から練習を見ました。しばらくして感じたのは、ああこのくらいなのね、って。自分とそうは変わらないぞ、と。
で、しばらく腕組みして見学していたら、監督とおぼしき人が僕の方に歩いてきて、「君、君」って話しかけられた。「君、何してるの? 何を調べているの?」って言われたので、「どのくらいのレベルなのか、チェックしてます」と返事をした。すると「君、どこの高校なの?」と言うんです。制服は着ていたものの、体も大きくて頭髪も伸びていたので、別の高校の偵察と間違われた。これが短かったけれど濃密だった名将、竹田利秋監督とのお付き合いの始まりでした。(聞き手 大野正利)