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戦争遺品でほぼ満杯の収蔵庫、寄贈断るケースも 散逸歯止め対策「今が最後のチャンス」 継承の灯ー戦後79年㊥

産経ニュース 2024年8月15日 7時0分

出征するわが子の無事を祈って作った「千人針」、戦闘機や兵士が描かれた男児用の着物-。姫路市平和資料館(兵庫県姫路市)の収蔵庫には、戦時下を生きた人々の暮らしや思いが垣間見える約9千点の戦争遺品が並ぶ。項目ごとに整理されているが、すでに収蔵庫の9割に達する量だ。「いっぱいになるのも時間の問題」。同館職員の田中美智子さんは苦渋の表情を浮かべる。

平成8年に開館し、県内を中心に戦争経験者の子や孫世代から遺品を受け入れてきたが、寄贈依頼はここ10年で増加。親世代が亡くなり、実家の片づけなどで見つかった古いアルバムをはじめ、大量の遺品が持ち込まれるケースもある。田中さんは「終活ブームや新型コロナウイルス禍による在宅で、自宅を整理する機会も多くなったのではないか」と推察する。

開館当初は大型家具や勲章など様々な遺品を受け入れてきたが、近年は寄贈品が重複することも少なくない。勲章や徽章(きしょう)など同種品をすでに所蔵している場合は断ることもある。田中さんは「誰かが生きた証だから心苦しい」と打ち明ける。

こうしたジレンマを抱えるのは同館だけではない。かながわ平和祈念館(横浜市)では、昭和60年から寄贈を募ったが1年で収蔵庫が埋まり、現在も受け入れを停止中。半田市立博物館(愛知県半田市)は市に関連する遺品を受け入れているものの、収蔵スペースは「ほぼ満杯」の状況という。

惨状伝える「生きた資料」

公共の資料館などの収容能力に限りがある中、遺品を受け入れてもらうには何が重要なのか。

「個々の遺品と体験者のストーリーが紐づいているのがベターだ」。ある自治体の資料館で学芸員を務めた猪原千恵さん(54)はそう話す。戦争の惨状を伝える「生きた資料」として遺品を活用するには、個人の記憶の継承が大切になるからだ。

だが実際、誰が、いつ、どのような思いで入手し、管理していたのかが分かる資料を添えた遺品はそう多くない。猪原さんは「戦争を体験した人の中には『思い出したくない』と家族にさえ経験を語らない人も多い」と説明する。

体験者本人から話を聞いていないと、専門家でもない家族らが遺品の価値まで判断するのは難しい。公共の資料館や博物館で遺品が受け入れられなかった場合、廃棄につながりかねない。

資金難、学芸員も不足

こうした現状に駒澤大の加藤聖文(きよふみ)教授(歴史記録学)は「遺品を守ろうとする意識が薄れている。すでに廃棄された遺品は多い」と指摘。「個人所有の遺品は、あと10年ほどでほぼ消失してしまう可能性がある。今が歯止めをかける最後のチャンスだ」と強調する。

廃棄や売買による遺品の散逸を防ぐには、遺品の保管環境を早急に整備する必要がある。ただ、担い手となる資料館などでは運営資金や学芸員の不足が常態化。戦争の記憶を次世代に継承するには、資料館側も遺品の歴史的価値を調査した上で「見せ方」を工夫する必要があるが、多くの資料館はそこまで手が回らないのが実情だ。

公共の資料館は県や市などの外郭団体が運営を担うケースが多い。これに対し、加藤氏は「そもそも遺品の収蔵を資料館だけで担うことに無理がある。行政(本体)が積極的に介入するしかない」と訴える。(中井芳野)

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