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琵琶湖に眠る宝、魅力探れ 謎多き水中遺跡を滋賀県が調査へ

産経ニュース 2024年8月24日 12時6分

滋賀県は、琵琶湖に眠る水中遺跡の謎の解明に乗り出した。古代から交通の要衝だった琵琶湖は湖底遺跡の宝庫だが、調査に困難が伴うため遺跡の存在理由すら不明なケースも多い。新たな調査でその歴史的価値を明瞭化し、デジタル技術も活用した魅力発信につなげる狙いだ。

全国2位の多さ

琵琶湖北端から竹生島(ちくぶしま)に向け突き出す葛籠尾崎(つづらおざき)(滋賀県長浜市)の沖で大正13(1924)年、漁師の網にほぼ完全な形の縄文土器がかかった。ちょうど100年前のこの出来事が葛籠尾崎湖底遺跡の発見につながり、琵琶湖の水中考古学の端緒となった。

同遺跡ではこれまで、縄文時代早期から平安時代後期にかけての9千年に及ぶ約200点の土器が見つかっている。

土器は通常、土に埋まって壊れるなどして破片の形で見つかることが多いが、葛籠尾崎湖底遺跡では不思議なことに大半の土器が当時のままの完成形で発見されている。理由として地すべり説、船舶沈没説、竹生島にすむ龍神祭祀(さいし)説など諸説あるが真相は謎のままだ。

昭和48~平成3年度には、治水や利水を目的に湖岸堤などを整備した琵琶湖総合開発に伴う発掘調査が琵琶湖一円で実施され、丸木舟などの遺物や調査成果が飛躍的に蓄積された。

縄文人の食生活の実態を解明した粟津湖底遺跡(大津市)、平安時代の水運業者が「荷物を失ったら神罰を受けます」と誓約した起請文木札が見つかった塩津港遺跡(長浜市)など確認された水中遺跡は、文化庁の28年度調査によると76カ所に及び、全国では沖縄県の87カ所に次いで多い。ただ、多くは葛籠尾崎湖底遺跡と同じく謎に包まれている。

デジタルで発信

滋賀県は葛籠尾崎湖底遺跡の発見100周年を機に水中遺跡の魅力を発信しようと、「琵琶湖の水中遺跡保存活用基本構想」の策定に着手。今月5日には有識者らでつくる検討会議の初会合を開いた。

委員の池田栄史・国学院大教授(水中考古学)は「陸上の遺跡と違って地番もなく、成立過程を特定するのも困難な水中遺跡は、日本では文化財としての取り扱いがされてこなかった」と課題を指摘する一方、「琵琶湖の湖底遺跡はポテンシャルがすごい。水中調査のノウハウを琵琶湖で蓄積できるのではないか」と期待を寄せた。

来年度までに基本構想を策定。文化財としての価値を明確にするための調査や、VR(仮想現実)で体感できるようなデジタル技術を事業化させたい考えだ。

県文化財保護課によると、琵琶湖総合開発に伴う調査が実施された時代には数人の潜水士が活躍したが、現在は全員引退している。初会合では、潜水調査の人材育成が不可欠との意見も出た。

文化庁も後押し

海岸線が世界で6番目に長い日本では、約400の水中遺跡が確認されている。ただ国史跡の指定にまで至ったのは蒙古襲来(鎌倉時代)を伝える鷹島神崎(たかしまこうざき)遺跡(長崎県)だけだ。

文化庁は同遺跡が平成24年に国史跡指定されたのを機に「水中遺跡調査検討委員会」を設置したが、陸上と比べ費用も時間もかかるため、調査事例はなかなか増えていないのが現状だ。

令和4年には水中遺跡保護の技術と方法を具体的に示した『水中遺跡ハンドブック』を公表した文化庁は、滋賀県へのバックアップを惜しまないという。検討会議にオブザーバー参加した文化庁の長直信・文化財調査官は「琵琶湖の水中遺跡から登録文化財を3件はつくりたい」と言及。波が穏やかで豊富な遺跡が残る琵琶湖は水中遺跡調査の人材育成の場にも適しているといい、日本の水中考古学の〝水先案内人〟としての役割を期待している。(川西健士郎)

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